「お疲れさーん」
真夏の昼下がり、高温多湿、快晴。
絵に描いたような灼熱の夏日の下、どことなく気だるそうな挨拶を仲間に掛ける少年がいた。
太陽光を浴びて輝く、目に優しくない金髪を揺らし、手に持ったクレープを齧る。
髪といい耳に何個も開けられたピアスといい、どうしても清潔なイメージの湧かない容姿だ。
しかし着衣だけは曲げられないポリシーでもあるのか、シワ一つないようなきっちりとしたスーツに身を包んでおり、そのバランスの悪さがなんとも言い難い違和感を醸し出していた。
少年の声に顎鬚を生やした色黒の男が振り向き、そのごつごつした指の間に紙切れを一枚挟み、ひらひらさせて返事の代わりとした。
「なんなの、それ」
「任務完了の確認用写真だそうだ」
差し出された紙切れを引っ繰り返すと、そこには血に塗れた生首が一つ映っていた。
思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
「ほんとに仕事の早い人だよ」
吹かしていたタバコ――に酷似した禁煙補助品――を地面に投げ捨てつつ、男は背後にある大きな桜の木の上方を指し示した。
口に中途半端に食べかけたクレープを銜え、少年は生い茂る若葉の間からその先を見る。
「あ…あんなとこに……」
「じゃ、そういうわけで。これから昼飯食いに会社戻っから、後処理頼むわ」
「はっ!? ちょ、おい…ふざけんな!」
新緑に埋もれかかった木の枝に、とあるものを見つけ茫然としていた隣、男が通りすがりざまに言葉を捨てた。
慌ててケチをつけようとするものの、人間こういうときの逃げ足はやたらと速いものである。
「警備はちゃんと布いておいたから、なんも難しかないだろー?」
見る見るうちに男の背中が小さくなり、最後に無責任な発言をし、小高い丘を降りてからは全く視認できなくなった。
残された少年は今一度、あのグロテスクな写真を見て顔を引き攣らせる。
「毎度毎度、よくもこう首ばっか刎ねるよな…」
クレープを彩るイチゴジャムを見、よろしくないものを連想してちょっとした吐き気を覚えた。
間違えて写真に目が行くことのないよう丁寧に折りたたみ、胸ポケットへと仕舞い込んで、残りのクレープを頬張る。
最後に残った包み紙をくるくると畳みながら、先程の葉桜の木を見上げ直した。
少年の身長に、もうあと頭二つ分ほど足した高さの枝に座る、やたらと大柄な女性。
いや、正確には“女性と思われる”人間である。
というのも、いまどきどの国を探しても何人も身につけていないであろう古典的なマントを纏っているため、性別の判断がなかなかつかないからだ。
しかし言動や仕草が程々女性らしい印象を受けるので、一応“女だろう”という程度の認識である。
男か女か不鮮明なそれは、初夏の爽やかな風に吹かれ心地よさそうに居眠り放いている。
安眠を妨害されたくないのだろう、ヘッドホンまで完備する始末だ。
「……おーい、起きろやーい」
無駄だと思って声をかけてみる。
が、案の定なので力いっぱい樹の幹を蹴りつけた。
すると気づいたらしい女が首を傾けて、覗き込むように少年へと視線を向けた。
ゆっくりとした動きでヘッドホンを微妙にずらし、呑気に手を振り挨拶してくる。
「やぁ。こんにちは」
恐ろしく拍子抜けする声だった。
しかし少年はそれにあっけらかんとすることもなく、ごく普通に右腕をあげて軽く返事をするだけに止まった。
長い前髪を垂らした女の表情はなかなか読み取れないが、口元だけは満面の笑みを浮かべている。
「お仕事お疲れ様です」
「それはこっちの台詞だよ」
少年は肩を竦める。
「たださ、首を刎ねるクセだけはどうにかならないのか?
俺もうイチゴジャムが血にしか見えなくなっちまって……」
「下手に心臓を狙って、外しでもしたら話にならないでしょう?
効率を考えた結果ですよ、首ちょんぱ」
「あ、そう……っていうか首ちょんぱって…」
彼女のヘッドホンから漏れる、一昔前に流行っていたような邦楽ロックが風に乗り、シャカシャカと耳に障るシンバルの音だけが少年の耳まで届いてくる。
その小刻みなリズムに合わせて指先を動かしていた女だったが、ふと思い立ったように今まで座り込んでいた樹の枝から飛び降りる。
なんともないように着地して立ち上がるが、結構な高さである上に、よくよく見ると素足ではないか。
元より浮世離れした雰囲気の人物なので、少年はさほど驚きもしなかったが、どうもまともなコミュニケーションを取るのに困ってしまう。
「どっか行くのか?」
「ええ、ちょっとした用事を思い出したので。お仕事の紹介、またよろしくお願いしますね」
「……こちらこそ」
遅れて落ちてきた巨大な刃物――刀のような形状――を手に掴み、実に女性らしい動作で空の手を振って、現代に溶け込むことのない古臭いマントを翻して場を去る。
残された少年はしばらく一歩も動かずに女の背を眺めていたが、ついにそれが見えなくなると、右手に握っていた携帯電話を操作し耳に当てた。
呼び出し音が鳴り続ける数秒の間、熊蝉の鳴き声を聴きつつ薄汚れた青空を眺める。
「あ、もしもし。荒川警察署っすか」
ようやく受話器を取った電話越しの相手との話に入る。
「『御の字』の近江川といいます。刑事課の九重課長に取り次いでもらいたいんですが……はい、お願いします」
単調な保留音が聴こえてくる。
公安機関の保留音にポピュラーな音楽を用いられると、どことなく違和感が…など、どうでもいいことをぐるぐる考えながら待つこと十数秒。
威厳たっぷりの男性が「刑事課、九重です」と電話に出る。
「どうも、近江川です。毎度お世話になってます。
早速、昨晩依頼された候補者の件の報告をさせてもらいます。
えー…今日未明、請負人である人間により殺処分されたことを確認しました。
後ほど地図のデータをメールで送信するんで、遺体の後処理の方をお願いします。
あーはい、民間人は近づけないよう警備の者を置いてあります。
はい、はい…あぁ、請負人の名前ね」
手に持っていた電話連絡用のカンペをくしゃくしゃに丸め、肩に携帯を挟み、慌てて胸ポケットから手帳を取り出す。
付箋がついたページを捲り、汚い字で埋め尽くされたページを探り当てる。
「んーっと…あったあった。えっとですね、無所属の女掃除屋で――」
なんとか読み取れるレベルの字を指で追って、そこにあった名前を読み上げた。
「コード『L・A・S・T・E・R』、ラスターです」 |