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【 1.3 プライバシー陥落 】



 全ての始まりは二十年ほど遡った頃になる。
 少子化に危ぶまれた日本経済の担い手たちに向け、政府が短期集中の出産・育児・学費支援を実施。
 結果、第二の団塊の世代が誕生し、低迷を続けた景気を打破し――再び同時多発的に大量の定年退職者が出た。
 その兆候が頭角を現した時期に定年の引き上げが行われたが、すでに子育てに関する支援は終了していることから出生数が激減しており、結局は全く意味を成さなかった。

 そこで設けられた制度が、働けず、且つ金のかかる高齢者の駆除だった。
 もちろん政府はこのことをにすることはしなかった。

 殺人を認める。
 それがどういった混乱を齎すか――想像は容易であり深刻であった。
 たとえ子供騙しのようなものであっても、不安要素があれば瞬く間に意識してしまうというのがごく普通の反応である。
 まして、それが日本を動かす政府による法的処置だと知っては、皆さぞかし慄くことだろう。

 駆除される人間は、“巨額の税を納めなければならず、そしてその納税を欠かさない一部の者”を除いた定年者の中から、故意的操作のない全くのランダムで選択される。
 これはつまり所得の多い者は除外し、中流、下流階級の満六十五歳以上の男女を対象とすることを指す。
 この場合の所得とは、著作権物から得られる印税も含められるため、著名人の人為的な訃報を回避する意味も込められている。

 制度の実施の際も抜かりなく、汚名を被らず駆除を実行する手立てを考えた。
 まず、警察とは区別されたヒト駆除専門組織を構成し、武装した者が街中に紛れても問題ないよう、凶悪事件からの護身という点をダシに銃刀法を緩和させ、一般人も銃刀所持できるようにした。
 この点は凶悪事件の増加もあったため、多少の批難はあったものの、滞りなく施行まで至った。
 その後はヒト駆除組織を国民に対する隠蔽の意味も兼ね“掃除屋”と呼び、その初期人員は銃刀の扱いに長けた自衛隊員から充て、企業として独立させることにして責任から免れることに成功。
 これは現在に至るまで、残念ながら正常に機能している。

 そして十四年前の三月、日本政府はこの大変な法的処理をわずか一年弱で完了させた。
 史上類を見ない驚異的速度である。
 この背景に親睦ある各国との間に少々ごたつきが生じたものの、日本の膨大な国債発行額を突きつけられてはそう簡単に「ノー」とは言えなかったようだ。

 かくして、現在も政府は嘘のような制度を嘘のような手段で隠し、嘘のように日本は機能し続けている。
“政府”という透視できない部屋に籠られては、干渉の権利を持たない国民は蚊帳の外ということだ。
 今日までの掃除屋の動きは、科学技術と嘘で固められた障害の中で誰にも見つからぬままである。

「両親が亡くなってから、もう三年になるのね」

 相変わって、築三十年の鉄筋ビルの一室、地味なパンツスーツ姿の女性が書類整理に勤しんでいる。
 環境保護のために開発された特殊構造のこのビルは、気温五十度を超さない限り、冷房をかけずとも室温三十度以下に保てる優れた温度調節機能を持つ。
 自らが傷めつけてきた地球に長らく住みつこうとする人間達の欲望の塊であるといえばそれで終わりだが、先人の研究は恐ろしく優秀だと、由乃はトマトジュースを少しずつ啜りながら思う。

 ちなみにトマトは好きだが、トマトジュースは大嫌いである。
 可能ならば隠れてトイレにでも流したいくらいなのだが、そこでいそいそと働く女性からのプレゼントであると思うと、そんなことは申し訳なくてできない。
 何故なら彼女は――

「社長。俺の話はいつでもできるんですけど、今は取り敢えずラスターの居場所を教えてもらえますか。
 電話かけても出ないんすよ」
「え? あ――いけない、なんで掃除なんて始めちゃったのかしら」
「いえ、このトマトジュース探してたら部屋が汚いとか何とか……俺のためにすみません」

 別に要らなかったんだけどな、なんて。
 間違っても言えるわけがない。
 御前の尻拭いのために、わざわざ時間外手当まで出してもらって出勤してきたのだが、話の流れで“ラスターの居場所を知りたい”という本題を社長は忘れてしまっていたらしい。

「だって東京の新名産なんて聞いたら気になるでしょ? ……ここ溜まってるじゃない、いやね」
「いや、掃除は俺がやっときますから。
 トマトジュースまだ余ってるんで、ラスターのIC探査の最中にでも飲んでみてくださいよ」
「いいの? 結構高いのに」
「……なおさら飲んでやってください」

 科学技術は進歩しても、“新商品”や“限定品”といったものに弱い日本人特有の感覚は失せないらしい。
 別段それが悪いわけでもないが、そういう不変さもどことなくおもしろいと思える。

 由乃に場所を譲った女社長は、片手にトマトジュースの入ったワイングラスを持ち、パソコンの前の椅子へと腰掛ける。
 スリープ状態から復帰した画面に次々とウィンドウが展開し、複雑な文字列と3D映像が蠢く
 こうなると機械音痴の由乃には一切手がつけられない。

「お兄さんとお姉さん、元気にしてる?」

 慣れた手つきでキーボードとペン型マウスを操作し、書物整理に入った由乃に問い掛ける。

「お陰さまで元気ですよ。兄貴は相変わらずニートだけど、姉貴の世話だけはちゃんとしてくれるから助かってます」
「それは良かったわ。お兄さんにはこの仕事についても随分と心労かけたと思うから心配で」
「――生活がかかってるってことで、そこは割り切ってもらってますよ」

 溢れ返った本棚の目の前、社長の言葉にふと動きを止めて静かに答える。

 日本政府の苦渋の政策の手伝いとは言え、これは短絡的に考えれば他でもない人殺しである。
 ちょっと昔ならば即刻しょっ引かれている所業だ。
 両親を自動車事故で亡くしてこの世界に踏み込んだとき、その重大さを理解していたつもりだったのだが……ここにきて再確認させられた。
 仕事に対する慣れが、自責の念をどこかへ消してしまっていたらしい。
 左胸に鎮座する拳銃の存在が、急に重みを増して意識を圧迫してくる。

「見つけたわよ」

 時計の短針が四時を越したときだった。
 変な空気に毒された部屋に、女社長の“してやったり”な声が鳴る。

「西日暮里駅の西側ね」
「……厄介な時間に、厄介な場所に行ったもんだな。西側っつったら、なんとかって学校のある方面ですよね」
「開聖学園? でも、少し離れたパチスロ屋の屋上にいるみたいだから、別に平気じゃないかしら」
「博打までするのか、あいつ……」

 地図を立体的に表示できるソフトの座標入力フォームに、ラスターの所在を表す膨大な英数字で形成された文字列から記入する部分のみを取り出して打ち込む。
 数秒すると水色の立体地図が現れ、ラスターのいるらしい屋上に赤い点が浮上。
 そのデータを特殊形式でエクスポートし、続けて起動したメールソフトで由乃の携帯へと送信する。
 一連の作業が終わると、複数のウィンドウを一気に閉じ、社長はうんと体を伸ばした。

「お。受信完了」

 メール受信を知らせるイルミネーションが明滅する。

「添付してあるファイルを選択すればさっきのファイルが見れるはずだから、それを見ながら追っかけてね。
 あとはソフトが勝手に彼女の居場所を更新してくれるから」
「なんかよく分かんないけど、これ見てればいいんすよね?」
「そういうこと。しっかし――いいなぁ、パチスロ」

 上の空で社長が呟く。
 地味ながら清楚な身なりのこの女社長、実のところ愛煙家であり酒豪、加えて博打までやってのける猛者である。
 由乃の方が余程いろいろ手を出していそうだが、人間見た目で誤魔化されてはならないようだ。

「とにかく行ってきます。掃除はまた今度やっときますんで」
「はい、気をつけてらっしゃい。まひとんにはキツーく御灸据えておくから、ラスターちゃんにもよろしく伝えておいて」
「了解」

 濃厚なトマト百パーセントのジュースをぐびっと飲み干した社長の頼もしい言葉に、御前に対する憤りを任せて部屋――掃除屋“御の字”のオフィスを出る。

「……便利で窮屈な世界ね」

 がちゃ、と重厚な音を立てて閉まる防弾使用のドアに視線を向けたまま、溜息と共に由乃の残していった毒を吐き出した。





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