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【 1.4 追跡→逃走 】



 人がいる。
 足元よりもずっと下に、胡麻より小さな人がちょろちょろと動き回っている。
 この夏の日も、そろそろ地熱を空へと放散する時が来た。
 昔と変わらぬ下校のチャイムが、濁った空気を震わし、その動きは耳を通り脳へと伝える。
 女は青から赤へと反転する汚染された空を見上げ、込み上げてきた高揚感を鼻歌に変える。
 生温い風が後ろに結った長い髪を巻き込み、ビルの合間を吹き抜けていった。

「ラスター」

 その爽快感皆無の風に乗って、青臭い少年の声が耳へと届く。
 女はフェンスの外側で胡坐掻いたまま、振り返ることもせずせせら笑った。

「毎度こうやって位置を特定されるのも面白くないですね」
「だったら頭カチ割ったらどうだ?」

 ビル内と屋上を繋ぐドアが閉まる。

「随分と過激な。でもそれじゃ要るものも要らないものも全部出てきちゃいますからね、遠慮しておきます」

 全掃除屋に義務付けられていることの一つに、GPS機能付ICチップを頭蓋裏に埋め込むための開頭手術がある。
 政府の実質的な手駒であり犯罪者との境界線上に立つ彼らが、いつどこで気紛れを起こして無関係な者を巻き込んでもおかしくない。
 チップを埋め込むのは、そういった緊急事態に備えた処置であり、今回のように連絡が取れなくなった場合にも有用な代物である。
 なお、このチップが出す電波は非常に微弱で、脳に隣接しているものの、健康状態に“著しく”悪影響を及ぼすことはないとのこと。
 掃除屋にとって、これほど便利で不便な道具は他にないだろう。

「それはさておき…わざわざお越し頂いたということは、お仕事ですよね?」

 その素気のない言葉に、少年は「あぁ、それそれ」と切り返し、ざりざりと洒落っ気のない足音を立てながら女の背後に近寄る。

「それにしても楽しそうだな」
「おかしいですねー。今日は他の掃除屋様の依頼も全て断ってきたのですが…楽しそう、ですか」
「少なくとも俺にはそう見えるって話さ。
 いつものヘッドホンもなけりゃ、ちゃんとしたブーツまで履いて、散歩とはワケが違うと思ってな」
「それはそれは、鋭いですね」

 革製の黒い手袋を両手に嵌め、ズボンのポケットの奥深くにしまい込んでいた携帯電話を取り出し受信メールをチェックする。
 登録し直した“ユノ少年”から届いたその内容を一瞥し、すぐにポケットへと突っ込んだ。

「それ、どういうことだか分かるのか?」

 女が何も言わずニヤニヤしていると、痺れを切らしたように少年は言う。

「何がです?」
「俺が転送しておいたメール、見たんだろ」
「ええ、見ました。不在着信は無視しましたけど」
「そっちはもうどうでもいい!」

 なんだ、無視されたことに対してイライラしてるのかと……。
 口を尖らせるが、どこか落ち着きのない少年がそれにコメントを返すことはなかった。
 女は改めて足元の遥か下で犇めく人の群れに視線を落とし、他意を含んだような笑みを浮かべると、やはり脈絡なく言う。

「尻尾を掴んでやりました」

 少年がぽかんとするのを見、面白おかしく、からかうように話す。

「私のやりたかったこと、さっきのメールを見て思い出しました」
「また意味の分かんねぇこと――」
「ユノ君。また明朝、いつもの桜木の丘で会いましょう。それでは良い夜を」

 胡坐を解いた足を宙ぶらりんに下ろし、振り子のように大きく揺らす。

「……! このやろ、知ってること全部話しやがれ!」

 慌ててフェンスへ飛び込むように駆け寄るが、すでに女は反動を利用し空中を泳ぎ――二階分ほど低い隣のビルへと飛び移った。
 ラスターに遊ばれていることを知り、フェンスと拳を力いっぱい握って舌を打つ。
 しかしあんなサーカスの真似事をするほど由乃は無謀でもなければ自信家でもない。
 追いかけるのを潔く諦め、一言だけ追伸として贈ることにした。

「なんだかよく分かんねぇけど、うちの社長が『よろしく』ってよ!」
「了解。『縄文土器の中にでも入って待っててください』とお伝え願いますー」

 滅紫の髪を揺らした女は最後までズレた発言を続け、ビルの谷底に向けて跳躍。
 暴れる風に遊んだマントが捲れ上がると、引き締まった体のラインが露呈するほど、ぴったりと調整された革製の服が黒々と現れる。
 その左側腹部のところどころには何かの形に生地が切り取られ、代わりに付けられたメッシュ生地からは割と大胆に肌を露出していた。
 そして滞空を終えて落下へと移り変わると同時に、腰から提げていた小さな機器に触れる。
 すると女を包むように光の膜が現れ、一瞬夕陽を反射した直後、そのまま彼女とその得物ごと背景と同化して姿を眩ました。





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