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【 1.6 パーソナル・スペース 】



『長束、2-10-2、F、LASTER、美利』

 自宅に戻った由乃は、リビングのテレビも付けず、黒いTシャツと赤い短パンだけの姿で寝転がっていた。
 由宇が数ヶ月前に買ってきた、やたらと愛くるしい顔のウサギ型クッションに凭れかかり、携帯電話の画面を凝視する。
 そこには見知らぬアドレスから届いた、飾り気のない、おかしな一文のみのメールが映し出されていた。

「二十二歳、女性、ラスター…なが、たば…みり?」

 掃除屋の活動を総括する警視庁から発信された依頼メールは、通常、全国に散らばる掃除屋のサーバーを経由し、各掃除屋の所持する携帯電話に送られる。
 駆除対象者の基本情報は前述のような一文に収められており、その他の詳細な情報はパスワード照合機能付きの添付ファイルに詰め込まれる。
 依頼を引き受けた者が受領印の代わりとして整理番号のみを引用返信することで、プログラムによる簡易チェックを通ったメールから先着順に仕事が割り振られ取引成立。
 そして依頼内容を完遂した段階で警視庁、またはその地域を管轄する警察署へ連絡すると業務終了となり、月末に登録された口座に報酬金が振り込まれる。
 また、無所属の掃除屋はこのメールを自動で受け取る権利も環境も持たないため、組織が仲介することで仕事を授かることができるシステムになっている。
 現在では、このように無所属の掃除屋に仕事を仲介するケースが増えている。
 フリーの掃除屋から仲介手数料を巻き上げるという、企業ならではのコスト削減術の一つだ。

 しかし、今回の依頼メールは極めて異質であり、この短い本文以外の情報は添付ファイルもない上、送信元のアドレスは出鱈目な文字列のメールアドレス。
 ドメインは辛うじて警視庁のものとなっているが、これでは正式に依頼を受けた契約書の代わりは果たさない。
 警視庁の掃除屋に使用するメールアドレスは一つだけと限定されているからだ。

 とはいえ、警視庁の保有するサーバーから発信された可能性は非常に高い。
 だが、パソコンの基本的な使い方すら知らない由乃には、アドレスの所得経路の特定などそもそも無理な話である。
 こういうのは社長の得意分野だろうと思い連絡をしたのはつい先程のことだ。

 しかし由乃は、この信憑性などカケラもない怪しい依頼メールを、社長に知らせる前にラスターに転送することにした。
 本文の馴染みのあるコードネームを見てしまっては、いち早く本人に知らせなければならないと思った。
 御前が不思議がらなかった点については、まずこのメールを開いてすらいないか、ラスターとの会話にうんざりしていたかのどちらかだろう。
 あの男の仕事に対する怠慢さには参っているが、ラスターの相手をするしんどさはなんとなく分かる。
 会話がこう……無理矢理に捻じ曲げられてすっきりしないのだ。

「……名前、読めねぇな」

 画面に静止する文字たちを解読する。
 年齢二十二歳、女性、ラスター、本名は長束美利。
 本名がいまいち読めないが、少し捻って書かれた本文が指す人物はあのラスターで間違いないようだ。
 ちなみに、難解に暗号化すると、由乃のようなちょっと勉強のできない人間には解読できなくなる可能性があるため、ハッカーに情報が漏れても人物が特定できないギリギリの隠蔽が図られている。
 ラスターというコードネームも色々な意味で有名だが、この業界にいなければまず知らないはず。

 そもそも、だ。
 駆除対象になる人物は、原則として定年を迎えた者とされている。
 また、駆除対象者以外に危害を加えた掃除屋に対する処罰は警視庁が秘密裏に決定するため、もしラスターが法に触れる何か大変なことを仕出かしたとしても、このような依頼が同業者達に出回ることは有り得ない。
 そう考えると、どこぞのがサイバーテロでも謀ったのだろうが……由乃には、どう頑張ってもここまでの推理が限界だった。

「……十一時半か」

 頭脳戦は社長に任せておけば問題ない。
 まだ御前からの連絡はないが、依頼メールが届くのは決まって金・土・祝日前以外の毎二十三時半。
 これからオフィスで銃火器なりを用意して作戦を練り始めるのだろうから――逆算すると、遅くとも一時には標的を探りに街へ繰り出すこととなる。
 〇時には家を出られるよう支度をしておこう。
 そう思って起き上がったところ、由唯の部屋のドアが開き、中から由宇が出てきた。
 兄が静かにドアを閉めてから声を出す。

「やっと寝付いたのか」
「いやー、今日はなかなか眠らなくてね」

 由唯が眠りに就くまで、その隣に付き添ってやるのが由宇の日課の一つになっている。
 暗い部屋に一人きりで放置されることが苦手で、誰かと一緒にいないと夜な夜な大声を上げてしまうがあるのだ。
 いつも午後九時には寝付くので、傍にいてやることが特別大変ということはない。

「由乃が夜中に出掛ける素振りを見せるといつもコレ。またこれから仕事だろ?」
「んー…まぁ、そうだな」

 胡坐のまま携帯を弄り生返事。
 最近こそ仲介役としての仕事が増え、自分で標的を撃つことがめっきりと減ってきた。
 それを由乃自身は喜んでいたし、恐らく由宇も同じ気持ちだっただろう。
 だから逆に、自ら依頼を実行する立場になると、どうにも気が重くて仕方ないのだ。
 裏を返せばまともな思考回路なのかも知れないが、それならそもそもこんな腐れ切ったマフィアみたいな仕事に手を伸ばしたりしなかっただろう。

 由乃にとってこの仕事は金稼ぎでしかない。
“御の字”には法に触れることなく人を殺せることを娯楽とするようなブッ飛んだ考えの輩もいるらしいが、由乃にそういった思考はない。
 高校に行く金もなく、由唯の通院費を賄うために選んだ、学歴不問の無法に等しい職だ。
“御の字”の社員になることを由宇に話したとき、力いっぱい殴られたのを思い出す。
 顎骨が折れて死ぬ思いをしたのも懐かしい。

「そういうのに敏感なんだよ、由唯は」

 今こそこうやって温厚に話しているが、彼も一本筋通った一端の男である。
 道徳から外れた弟を必死に説得させようと奮起した結果が、由乃の顎骨骨折。
 確かに怪我と由宇の普段とのギャップも相まって効いたが、結局このような現状に収まってしまった。
 由宇の正義感も、金がなければ生きていけないという現実と、由乃の決意に根負けしたのだろう。
 もちろん「俺がやる!」とも言い出したが、あの性格では絶対にできないだろうと思い、そこも丸く収めるよう孤軍奮闘した。

 ふと、携帯が手の中で震動する――御前からメールが届いた。
 すぐに開いてみると、本文は箇条書きで、駆除対象者の情報や仕事の運びなどについて書かれていた。

「……由唯の勘が働くのは俺のことだけじゃねぇだろ。お前のデートの日もそわそわしてるって」
「え。ほんとに」
「あんだけ緊張した顔されたら、そりゃな」

 けらけら笑って見せると、由宇も同じように苦笑する。

 由宇には四年ほど付き合っている彼女がいる。
 由唯のこともあり、なかなか二人で遊びに行くこともできていないが、そんな厄介な事情も理解してくれる良心の塊みたいな女性だ。
 知り合ったキッカケはネットゲームらしいが――そこに口出しするのは無粋というものだろう。

「明日は仕事休みだし、由唯の面倒は俺がやるから久々に会ってきたら?
 いくら由唯のこと分かってくれてるとは言っても、やっぱ付き合ってる身としては構って欲しいもんだろ」
「毎日連絡は取り合ってるけどなぁ。まぁ、でも考えとくよ」
「チャットと顔見て話すのとでは違うってことだよ。そんじゃ、御前からメール来たから行ってくる」
「ほいほい、気をつけてな」

 田端駅に集合。
 集まり次第、駆除対象者の探索を開始するらしい。
 予想した通り、御前がオフィスから狙撃用のスナイパーライフルを拝借しているということで、拳銃を持ち歩くことも敢えてしないことにした。

 いつものスーツに着替えることもせず、ラフな格好のまま、サンダルの形状をしたスニーカーに足を突っ込み外へと出る。
 この時間に携帯で連絡を取り合い、スーツで街中を歩くのは少々目立つ気がしたからだ。

 真夏の夜風は生温く、実に気持ち悪い。
 今夜は月も地平に近く大きく、やたらと圧迫されるような感覚に陥る。
 重苦しい胸のもやもやを呼気に乗せて吐き出し、気分転換にポケットに入っていたチョコレートを口の中に放り込み最寄駅へと歩き出した。





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