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【 2.1 転危 】



 時刻、午前一時。
 長針と秒針がぴったり重なった瞬間、小高いビルの屋上で狙撃銃を構える青年は、通話状態のまま隣に置いた携帯に向けて一言呟く。

「行くぞ」

 十字線の書かれた照準器に齧りつく。
 その交点に写るのは、今回の駆除対象である八十六歳の女性。
 時間も時間であるため、とっくに床に就いている。

(一人暮らし、か)

 そんな思考が頭を過るが、同情してしまわぬうち引き金を引いた。
 衝撃が体に伝わってくると同時に、真横に設置しておいた消音機が作動し、発砲音を掻き消す。

『――お見事』

 しばらくすると、携帯からなんとも無気力な御前の声がする。
 改めて照準器を覗き込むと、携帯型の消音機を揺らす御前と、その足元でだらけの瞼を見開いた老婆の姿がはっきりと見えた。
 銃弾は心臓部に命中したようだが、遠目でもまだ痙攣しているのが確認できる。
 それ以上はつらくなって目を逸らし、銃をスタンドに安置して電話を手に取る。

「……騒がれてないか?」
『騒いだんだろうが、この機械に掛かれば問題ないだろ』
「まぁ…そうだった」

 いつにも増して圧し掛かってくる重圧を感じ、虫の音のような小声を発する。
 それを聞いた御前が電話越しに鼻で笑った。

『いやはや、近江川君はいつまで経ってもケツが青いようだなァ?』
「良心は捨ててないからな」

 そう言って、由宇と数時間前に交わした会話の中でも同じ感情が湧いたのを思い出し、なんだか馬鹿馬鹿しくなる。
 この感覚が葛藤というものなのだろうが、延々とこの鉛みたいな重さと闘ってもいられない。
 人の動きも極端に鎮静化している深夜帯であるとはいえ、周囲の人間にいつ気付かれるかも分からない。
 騒ぎにならないうち、死体に細工をして去らねばならないのだ。
 御前もそのタイミングを勘繰ったらしく、珍しく自主的に切り出してきた。

『死因偽装は俺の出番だ。お前は割れた窓ガラスでも片してろ。自分で割ったんだしな』
「それはご苦労なことだな、元外科医さんよ」
『それ、からかってんだろ。割り箸、鼻の穴に突っ込むぞ』
「なんの話だよ」

 どうも愉快なことを言う。
 普段は皮肉っぽい冗談を好む彼にしては、いやに華がある気がする。
 本気なのかも知れないが。

「こっちの片付けが終わったら、すぐそっちに――あ、悪ィ」
『あ?』
「社長から電話入った。そっちに向かうとき一回かけ直すから、そうしたら鍵開けてくれ。じゃ、切るぞ」

 御前の『おう』という声を確認し、社長との回線に切り替える。
「もしもし」と出ると、社長も同じように返してきた。

「例のメール、どういうもんだか分かりました?」
『ええ。やっぱり警視庁のメーリング・サーバーが攻撃を受けたらしいわね。
 遠隔操作で他の掃除屋団体にも大量に同時送信されてるみたい。
 大元のサーバーが復旧したらすぐに謝罪メールを送信するそうだけれど、それもいつになるか一切分からない状態よ』
「……ってことは、やばいんじゃないんすか」
『他団体の社長も各社員に連絡回してるけど、そういうことも有り得ると思うわ』

 社長の言う“そういうこと”が妙に引っ掛かった。
 意味としてはいくつも思いつくが、犯人が分からないのなら、その目的が駆除対象者の個人情報が記載されたファイルであるとも分からない。
 それ以前に、ラスターに関する情報を依頼メールと偽って送信する理由も一切分からないのだ。

 そもそも、掃除屋の存在を知ろうとしている人間がどれほどいるのだろうか。
 第一、掃除屋に関する情報は国家最高の機密事項と言っても過言ではないもの。
 過去にも似たような隠し事がマスコミによって幾度となく暴かれてきたものの、それは政治的不安しか与えなかった。
 しかし、掃除屋の概要が知られれば、国政に対する不安と一緒に、自分の身の安全が脅かされていることを知ることに繋がるのだ。
 バレたらどうなるか、その辺りの計算だけはちゃんとしているだろう。

 ともなれば、掃除屋の存在を知られることがまず有り得てはならない。
 故に、掃除屋を追及する者もいてはならない。
 仮にそういった人間がいるのならば、とっくにマスコミに巨額を提示して売っているのではないだろうか。
 そして彼らもまた、即座にそれに応じるはず。
 そうなれば、ほぼ一瞬のうちに全国各地に情報が飛び交うのは必至なのでは――?

 だが、少なくとも今はそれが起きていない。
 これを楽観的に捉えるのならば、掃除屋の情報が漏洩していないことを意味していると取れる。

 では今回の事件は誰の仕業なのか。
 はたまた、何が目的なのか。
 何故ラスターに白羽の矢が立ったのか。
 それは……分からない。
 ただし、一つだけ言える確かなことがあった。

「社長、ラスターどこにいる?
 どこのどいつの悪戯か知らねぇけど、あんなメールが送られてるってことは、あいつ狙われてんでしょう?」
『そう…なるわね』

 さすがに社長の声も強張る。
 その時点で、あまりのんびりしていられないのではないかと思い、事の運びの順序を考え始める。

「――社長、地図送ってください」
『今やろうとしてるわ……けど、考えることはみんな同じね。
 人工衛星のネットワークが混んでてなかなかアクセスできないの』
「一体何人があのメール見たんだよ……。それ、芳原とか使ってもどうにかならないんすか」

 由乃が口にした名に、社長もハッとした…ような気がする。
 オフィスに轟く大声で『よっしー、仕事ッ!!』と、どうやら仮眠中だったらしい芳原を叩き起した。
 警視庁サーバーを落とせるほどかどうかは知らないが、オフィスの隅で淡々と仕事をこなす芳原も“御の字”屈指のシステム・エンジニアであり、一端のハッカーである。
 そういった類の仕事は社長より早いだろう。

「それじゃあ、そっち頼みました。俺は、取り敢えず移動しやすいように駅に戻ります」
『分かったわ』
「場所、特定できたらメールください」

 最後にそう告げて通話を終了させ、銃を片づけながら再び御前に電話を掛ける。
 三回ほど呼出音が鳴ったところで、ようやく出る。

『ずいぶん早い片付けだな』
「終わってないっつーか、こっちの片づけも頼んだわ。まとめるところまではやっておくからよ」
『あぁ、そ……いや、ふざけんなよ』

 腹の底から発声しているような、そんな気迫のある御前の声もスルーして続ける。

「お前があのメール見たかどうか知らんけど、ラスターがちょっと危ねぇんだ。これから一っ走りして捜しに行ってくる」
『危ないのはいつものことだろ』
「そういう危ないじゃないっつの」

 銃や備品を一通りしまい終えて立ち上がる。

「あいつの置かれてる状況がやばいんだよ」
『何があったか知らねぇけど、あの姉ちゃんなら大丈夫だろ。実力派ってことで有名らしいしよ』
「いくら腕っ節が強くても普通の人間だからな。少年漫画の主人公みたいにゃいかないだろうよ。
 まぁ、そんなわけだから、よろしく」

 返事を聞かず会話を無理矢理に終わらせた。
 どうせ素直に頷くはずもないのだから、こういうときは押し付けるのが最も簡単である。
 財布と携帯をポケットに放り込み、この屋上へ登るとき際に使用したロープを用いて下まで滑走して降りる。
 御前が使うだろうということでそれらを放置したまま、終電時刻間際の駅へ向かって走ることにした。





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