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【 2.5 夢と現実 】



「ユノくんって料理できたんですねぇ」

 壁に寄り掛かるように座り、案外なんともないように食事を楽しむラスター。
 右腕のみで粥を頬張ったり麦茶を飲んだりと、戸惑う素振りもなく器用にやってのける彼女に、むしろ由乃の方が驚かされていた。
 普段から無意識のうちに使っている片腕が使えなくなるというのは、どんな人にとってもこの程度の障害なのだろうか。
 いや、恐らくそんなことはないだろう。
 自問自答することすら馬鹿馬鹿しく思えるほど、この女にはそういった類の常識は通用しそうにない。
 しかし、痛いと思えば痛いと言うし、規格外に頑丈と言うわけでもないようだ。
 強いて言えば、多方面において鈍感といったところであろうか。

 今までがあまりに謎な人物であったため、食事というごく当たり前の行動を取るラスターの様子に違和感を覚えつつも、彼女の素朴な感想に答えることにした。

「まぁ…家事なら一通りできないこともないな」
「一人暮らしですか?」
「いや。二年前に親が事故で死んじまってからは、兄貴と姉貴との三人暮らしだ」
「それはお気の毒に。でも私も似たような境遇なんですよ。奇遇ですねぇ」

 健常な女性が一食でどれほど食べるか分からなかったので、普段由乃が食べるほどの量を作ってみたのだが、この女は何事もなかったかのようにぺろりと平らげた。
 いくら腹が減っていたとしても、さすがにこれは食べ過ぎなのではないだろうかとも思うが、体の大きさを考えるとどれほどが適量なのかさっぱり見当がつかない。
 だがまぁ、取り敢えず満足したようなので良しとする。

「ってことは、お前も兄弟とかと一緒に住んでんのか?」

 それよりも何よりも、ラスターが自分のことを何の気なしに喋っているではないか。
 それがどうも新鮮で、食い付かずにはいられなかった。
 そろそろいつもの天邪鬼が始まるかと思ったが、そんな素振りも一切見せず、次から次にぺらぺらと話す。

「あ、いえ。一人っ子なので今は一人暮らし。とは言っても、家には週に何度も帰りませんけど」
「それでも、一応住居は構えてんのか」
「放浪が好きなので、ほとんど家なき子状態ですけどねぇ」

 けらけらと笑うが、塞いだだけの傷が痛んだのか、丸くなって悶絶する。
 一人だけでも愉快な女だ。

「気をつけろよ。肺に風穴開いたんだから」
「ごくたまにですけど、我ながら不老不死なのではないかと疑っちゃったりしますね……」
「虫の息だった奴がよく言うよ」

 ラスターの怪我の状態を説明したのは、出来たての粥を目の前にした彼女が「猫舌なんです」と告白したときのことだ。

 最も重傷だった左肩は、鎖骨がすっぱりと切断されていたため、骨の再生を助ける機能を持つ小型のボルトで傷が広がらぬよう固定してから縫合した。
 それと一緒に断絶してしまった神経についても、何やら小難しそうな機器を覗きつつ、御前が繋いでやったらしい。
 一般の外科医というのはどこからどこまでの怪我を治せるのか知らないが、それすら可能にする日本の医療技術の高さは胸を張って誇れるのではないかと思えたのが最大の発見だった気がする。
 由乃からこの説明を受けたラスター本人も、膝を叩いて拍手の代わりとし、感嘆の声を上げた。
 そうは言っても、“繋げた”というのは自然治癒できる程度のことを指し、もちろんまだ動かせる状態ではない。
 相応のリハビリも必要になってくるだろうが、それはまた後の話になる。

 胸部の銃撃による傷については肺に溜まってしまった血液を取り除き、これまた縫合。
 腹部の傷は奇跡的に臓器に触れていなかったため、縫わずに様子を見るとのこと。
 御前曰く“要らぬ穴が開けば塞がろうとするだろ”だそうだ。
 理に適っているのか、いい加減なのか判断し難いが、こうやって会話ができる状態なのだから間違ってもいないのだろう。

「そんで、その怪我は一体誰にやられたんだ?」

 怪我をした本人はぴんぴんしているが、やはり気になるところはラスターをここまで負傷させた相手である。
 銃撃を回避するのは不可能だとしても、骨ごと断つような傷を負わせるのはそう簡単なことではないのではないか。

 しかしラスターはここにきて気紛れを起こしたのだろうか、由乃の不安を煽るように首を傾げて呻った。

「うーん、誰なんでしょうね」
「………」
「やや、そんな顔をしないで欲しいです。
 確かに顔と名前を一致させるのは大の苦手ですが、仕事柄、一度見た顔はちゃんと覚えられます。
 ただ、それが一度も見たことのない顔だったから正体が分からなかったと、先程の言葉はそういう意味ですよ?」

 慌ててそう弁明するが、由乃には分からない事があった。

「それなら、どうやってあのメールから相手の居場所が分かったんだ? 少なくとも知り合いだったんじゃないのかよ」
「うぅん、それは――」

 由乃の指摘に、ラスターはどこか不安げな表情を浮かべた。
 目を覚ましてからというもの、彼女のなんてことない動作の一つ一つが目新しく感じられるが、よくよく考えると、その全てが平常であることに気付かされる。
 今までの彼女が、どこまでもおかしな人間であったせいだろうか。
 いや、それももしかしたら、正確には“おかしな人間だと思い込んでいた”だけなのかも知れない。
 少なくとも、今のラスターとなら普通に意志疎通できる自信が由乃にはあった。

 だが、その自信も相手の意識に因りけりである。

「そうですね…これは言うべきではないと思うので……」

 結局しどろもどろになり、首を小さく振った。
 確かに由乃にそれを話したところでどうなるわけではないだろうが、ここまではスムーズに成り立っていた会話が酷く懐かしく感じられる。
 再び不可視の壁が、この妙な関係の二人の間を遮った。

「それはそうと、お兄さんもお姉さんもいらっしゃるんでしょう?」

 居所が悪くなったのか、ラスターから進んで話題を変えてきた。

「私のような人間が、長いこと滞在するわけにもいかないのでは?」
「あぁ――俺らのことは別に気にしないでいいって。
 お前がここがいることが特定されないように、社長からこんなもんも借りてきたことだし」

 そう言って、ラスターに向けてネックレスを投げ渡す。
 やはりなんてことないようにそれをキャッチし、細部までしげしげと確認した。

「頭ん中のチップを無力化できるらしい。消音機と同じ原理だとかなんだとか」
「逆波長をぶつけるわけですか。
 いやぁ、こういうのがあるという噂は耳にしましたが、実際に手にしてみると、ただのオモチャみたいですね」
「取り敢えず身につけてればいいらしい……って、さすがに片手じゃつけられないか」

 いくらラスターでも、ここまで複雑な動作を片腕でやってのけることはできないようだ。
 やたらと不器用そうに弄るのをやめさせて、代わりに由乃がつけてやることにした。
 少し下を向くよう促すと、なんとなくだが、楽しそうに声色を明るくした。

「はは。なんかこれ、恋人同士みたいです」
「アホか」

 想像以上に細い首にそれをかけ、髪が絡まらないように退かす。

「どうです、似合います?」
「いいんじゃないのか。女らしくも男らしくもなった気がする」
「おっと……意地が悪いんですね。照れてらっしゃるんですか?」

 どちらも一歩も退かぬ茶化し合いを繰り広げるが、面倒臭くなった由乃が空になった食器を片づけに、姿の見えなくなる位置にあるキッチンへと逃げていった。
 とは言っても、「何から何まですみません」と礼を言えば、顔こそ見せなくとも、壁際から手を振り返事をしてきた。

「いやぁ。これは嵐の前の静けさ、ですかね――」

 殺伐とした世界から一歩外れた、どこにでもあるようなひと時。
 満腹になって程良い眠気に見舞われる贅沢な時間を心より楽しみ、しかしその胸中に募る不安を、上手く言葉にできず飲み込むのだった。





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