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【 3.1 おはようコール 】



 それはいつも突然やってくる。
 スズメの囀り程度しか耳に届かぬ静寂を破り去ったのは、けたたましく鳴り響く電話の呼出音だった。

「んんー…」

 何故だろうか、それはいつまでも止むことなく響く。

「おとーさーん、電話ぁー…」

 うるさいから早く取ってよ!
 そんなニュアンスを含み半分寝ながら言うが、少女のそれに応える人間は存在していなかった。
 やがて録音された女性の声が淡々とした調子で「伝言メッセージをどうぞ」と言うと、透き通った綺麗な声が電話のスピーカーから聴こえてきた。

『独立行政法人“御の字”の苗田と申します。長束美利さんにお伝えしたいことがあり、朝早くに失礼いたしました』

 聞き覚えのない女性の声だった。
 名前を呼ばれた少女は思わず半身を起こし、その伝言に聞き入る。

『お父様の残業が大幅に長引いていることについて、遅ればせながらご連絡いたしたいと思っております。
 このメッセージをお聴きになりましたら――』
「お父さん……?」

 父を指し示す単語に、少女は過剰に反応した。
 ほぼ反射的に立ち上がり、朝日に輝く部屋を見回し――誰もいないことを確認する。

 ……そういえば、呼んでも返事がなかった。

 寝起きの美利の思考回路が、たった一人の家族の居場所を知ろうと急激に回転を始める。
 結果、メッセージを結ぼうとする女性の声を遮るよう電話に飛びつき、受話器を手に取り、壊れんばかりにそれを強く握り締めることにした。
 一寸間もなく、緊張してきりきり締めつけられていた喉から悲鳴に近い声が飛び出す。

「もしもし!」
『あ、美利さん? 良かった、まだ学校に行く前だ――』
「お父さ…父がどうかしたんですか! 昨日残業になるって言って、まだ帰ってないみたいで!」

 美利は混乱に近い調子でそう続けた。
 女も驚いたように対応する。

『えっと、それを伝えるために電――』
「お父さんに何かあったら、あたし……」
『美利さん? いや、美利さん、ちょっと落ち着いて』

 女の話を悉く無視して、髪をぐしゃぐしゃ掻き毟り、ロクでもない想像をして鼻声になる。
 そんな忙しない美利を宥めると、苗田は困ったように笑った。

『どうしても今日のお昼までに終わらせて欲しい仕事ができたから、夜通しその作業をしてもらっていたの。
 今は仕事場の休憩室で仮眠中。お昼過ぎには帰宅できるように手立てします』

 言葉に詰まってしまった美利に、苗田はようやく機会を得、やや急いでそう説明した。
 ずび、と鼻を啜り、少女はその予想外の内容に呆気に取られた。

「……そういうこと…ですか」
『急に無理を言ってお願いしたものだから、美利さんにも心配かけてないかと思って電話させてもらいました。
 案の定――だったみたいで』

 我慢できなかったらしい女のくすくすと笑う声が耳に届くと、美利の顔は本当に火が出るのではないかと思えるほど真っ赤になった。
 気の緩みからか、鼻から水まで垂れる始末である。

『では、お父様の件はそういうことで、こんな時間に失礼しました。学校、遅れないようにね』
「は、はい……どうもすみません」

 少し意地悪くちょっかいを出した女がそう切り出したため、美利も調子を合わせて謝辞を述べることで会話を終わらせた。

 なんだか無駄に緊張してしまったような気がする。
 それはもう、寿命が縮んだかと思うくらいに。
 母が他界してからというもの、部屋にぽつんと一人いることに不安を覚えるようになっており、そこにあんなニュアンスの電話が来たものだから――父の身に何かあったのでは、と疑わずに居られなくなっていた。

 鬱憤晴らしに受話器を手荒く元の位置に戻すと、キッチンを手当たり次第にごった返しながら、朝食としてトーストと目玉焼きを一緒にして食す。
 そのあと洗面所で大雑把に顔を洗うと、自室で相変わらず大胆な着替えを済ませ、学校へ行くため、教科書を適当にカバンに詰めて玄関に向かう。

「帰ってきて、部屋見て驚けばいいんだ」

 外に出て施錠し、ぼそっと呟く。
 そのために大暴れしたわけではないのだが、結果としてはそんな小さな悪戯ができる程度に散らかした。
 帰宅した父を驚かせるならば、この鍵も掛けなければ良かったのだろうが……そこまでは頭が回らなかったらしい。

 身長が伸びたせいでやたらと短くなったスカートを揺らし、踵部分を潰して裸足のまま履いたスニーカー越しに地面を蹴る。
 いつもより少し早いが、家より学校にいる方が退屈凌ぎになるだろう。
 それくらいの心持ちで、同じ制服を着た生徒たちがちらほらと現れ始めた通学路を、道草食いながら進むことにした。





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