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【 4.0 いい加減な殺生 】



『無事ってことを聞いてほっとしたわ。あとで時間つくってお見舞いに行くわね』

 蝉も喧しく鳴く、真夏の晴天を眺める。
 遥か遠くに伸びる入道雲、未だ地を這う自動車、年々白くなる青空……。
 半世紀以上前の人々は、今のこの時代に空想の技術を夢見て、それに追いつけ追い越せと躍起になっていたそうだ。
 そんな滑稽なほどに切磋琢磨し合っていた多くの科学者や技術者たちにだけは、この混沌とした大気や成長の止まった科学技術を見せてやりたくない。
 部屋から出た美利は、風にうねる髪を気にしながら、通路の柵に寄りかかりながらそう考える。

「お気持ちはとっても嬉しいんですけど、私よりも、まずはお子さんのことを考えてあげてください。
 しばらくオフィスに泊まってるんじゃないですか?」
『また……どうしてそう痛いところを突いてくるのかしら』

 苗田は困ったように息をついたが、これは美利にとっての挨拶でしかない。
 それは双方知っていることであり、適当に流すべき会話でもあった。
 しかし苗田には、そう簡単に受け流すことのできる内容ではなかったようだ。

『ケリを着けておかないと、後々ややこしくなるのは分かるでしょう?』
「…そうでしたね、すみません。しかしその口ぶりだと、勘付いてるってことでしょうか」
『あら、あなたがそう言うってことは大当たりなのかしら?
 さっきまひとんがオフィスに来て、ちょっと前に代実さんから電話があったって報告をもらってね』
「あぁ、あの人ですか……」

 血色を失った父の顔に化粧を施す、小柄な女の後ろ姿が脳裏にチラつく。
 一度しか面識はなかったが、強烈な性格の女であったことを思い出し、はっきりとした苦手意識に声色が萎えた。

「御前さんの元奥さんでしたっけ。
 確か何年か前に別れたとか何とか、苗田さんから聞いたことがあった…ような、そんなこともないような」
『うん、合ってる合ってる。どうやら彼女が掃除屋に転身したらしいの。
“ラスターの居場所を教えろ”って言ったのを聞いて、まひとんも初めてそこで知ったらしいんだけどね』
「――…なるほど」

 痛みにもだいぶ慣れ、怪我をしていたことすら忘れかけていたが、正体不明だった犯人の見当がついた瞬間、腹部を劈いた弾痕を思い出し、窪んだそこにそっと触れる。
 この下にある臓物には傷一つ付かなかったと由乃から聞いたものの、よくよく考えると危なかったなぁ、と他人事のように思う。

 苗田が、なおも事の経緯を話す。
 いろいろと奮闘してくれたらしいことは悟ったが、それも右から左へと聞き流してしまう。

 しばらく見ないうちにすっかり大人びた、懐かしい顔、声。
 初めて人を傷付けたときとは違う、迷いのない目。
 見入ってしまうほどにぎらぎら光る瞳。
 躊躇なく振り下ろされる腕。
 月光を浴び、黒々と光るナイフ。
 呪いと後悔に任せた辛辣な言葉。

“あの日から今まで、何を思ってきた?”

 揺れる黒、舞う赤、消える白。

“今になって、何をそんなに迷うんだ?”

 迷っている――確かにそうかも知れない。
 動けと願うほど、腕が、脚が、その意志を妨げるように重くなった。

『――ちょっと、美利さん? 大丈夫?』

 相槌を打つことすら忘れていた美利に、饒舌だった苗田もその言葉の流れを止めた。
 ようやく我に返り、「すみません」と話の芯をぽっきりと折る。

「あの、また連絡し直す形でもいいですか。頭パンクしそうで、まともに話聞けそうにないです」
『……そう、無理しないようにね。何かあったら由乃くんに手伝ってもらうようにするのよ?』
「その点は大丈夫です。ワガママは得意ですからね――それじゃ、失礼します」

 通話を終わらせ、画面に表示された『通話時間:六分十三秒』を眺め、ぽつりと呟く。

「ユノくん、お出掛け中ですけどね」
「あれ。怪我人おいて出掛けちゃったの、由乃のやつ」
「……!?」

 独り言に対する、予想していなかった返事に驚き振り返る。
 ぐるりと回転した視界に飛び込んできた青年は、何もなかったように「どうも」と軽く会釈。
 ラフな格好の彼は左肩に小さなカバンを引っ掛け、空いている右手を差し出してきた。

「由乃の兄の、近江川由宇です。ラスターさん、で良かったかな?」
「あ――これはどうも、ご迷惑おかけしてます」
「いえいえ、汚い家でごめんね」

 握手を交わすと、それを二度、軽く上下に揺すって手を解いた。

「『看病なら任せろ』とか格好つけておいてコレじゃ情けないなぁ、由乃」
「そんな。私の忘れ物を取りに行ってもらってるんです。
 自分で行くとは言ったんですけど、夕飯の買い出しついでに行ってくるからって留守番頼まれまして」
「なるほど、そういうことね。それならそれで、連絡くれればすぐ帰ってきたのに…そうだ、お腹減ってない?
 お土産買ってきたから、良かったら中で食べよう」

 玄関ドアを開け、靴を脱ぎながら「甘いものしか買ってきてないけど、口に合うかなぁ」と呟く由宇に、妙にあたふたする。
 一人でぼーっとしていたため、他人と接する態度がどこかへと吹っ飛んでしまっていた。
 そんなラスターの様子を、由宇は見るからに人の良さそうな笑顔を浮かべ、滅多に有り得ないことを言った。

「由乃が言うより、ずっと愛想のある人で良かった」

 ――硬直。
 結んだままの後ろ髪だけが風に踊る。
 言葉にできない感情が胸の内で大暴走するのが、手に取るように分かった。
 そんな葛藤を知るわけもなく、次の質問がラスターの耳に飛び込む。

「由唯とは会ったかな?」

 紛らわしいその名に、しかし一度も聞き覚えがなかったため首を横に振る。

「い、いえ…たぶん」
「そっか、紹介してなかったんだ。俺の妹で、由乃の姉の、我が家唯一の女の子なんだけどね。
 良かったら会ってあげてもらえないかな」

 居間のテーブルに土産を放置し、ラスターの答えを待たずして、玄関近くのドアを抉じ開け、散乱したその中へとずかずか入っていく。
 いつもの癖で裸足のまま外に出ていたラスターは、その隙を見計らって玄関マットに足の裏を擦りつけ、汚れを誤魔化そうと努力してみた。
 その時ばかりは、さすがに「小学生じゃないんだから…」と反省したりしたのは余談である。

 それから由宇が「どうぞ入ってー」と言うまで呆然としていたが、呼びかけに応じて部屋をそっと覗き――発するべき言葉を選ぶこととなった。

 由宇の押す車椅子に座る女が目に飛び込んでくる。
 それはまるで少女のような印象だった。
 癖のない黒髪は長く、肌は陽の光を拒むように白い。
 手足は恐ろしく細く、そして何よりも、無機質的な美しい顔立ちをしている。
 愛くるしい真ん丸い双眸は虚ろで、程々ふっくらとした唇は力なく開いたまま乾き、血の気を失せて灰色に近い。
 その間から漏れるのは、言葉にならない音。

 ――脳障害か。
 医者でもなければ、そういった知り合いもいないラスターにも、詳しいことは分からずとも、ぱっと見ただけでそう直感できるような容姿だ。

「妹の近江川由唯です。ご覧の通りちょっと勝手が悪い状態ではあるけど、よろしくしてやってくれると嬉しいな」

 なんだか異様に喉が渇いてきた――知らぬ間に噴き出した脂汗を拭う。
 正体の知れぬ焦りにうろたえるラスターに向けられたその言葉には、一切の疑心はなかった。





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