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【 4.2 ふたつの女 】



「じゃあ、あたしの早とちりだったんだ…ごめんなさい」

 落とした用紙を拾うよりも先に「あんたどこのどいつでミトとはどういう関係なの!?」と早口に捲し立てたこの女は、由乃の「仕事仲間だけど」の一言で、すぐさま小さくなって頭を下げた。
 予想していた通りの性格をした女に、散乱したグラフなどが印刷された用紙をまとめてから渡し、無為な長居を避けるためラスターの家を後にすることにした。

「まぁ、確かに男とは無縁そうだけどな。そういうあんたはラスターと――」
「らすたー…?」

 やばい、この反応は一般人だ。
 慌てて人差し指を突き立てた右手をくるくる回し、あの大雑把な表札を指差す。

「こ、ここの家主の友達かなんかっすか」
「あ、うん。明陽社っていう出版社で編集を担当してる渡會杏美っていいます、よろしくね。
 ミトとは小中学校と一緒でね、お互い社会人にはなったけど、腐れ縁的な形で付き合いが続いてる感じかな」
「ふーん…社会人ね」

 仕事の内容からすると、とても社会に適応できている部類じゃないんだけど。
 杏美のひょんな一言にそんなことを思うが、まずは話を合わせるために聞いておかなければならないことがあった。

「ところで、ミトってのは?」

 分からないと思ったことはまず聞く。
 そうでもしないと杏美との会話に支障が出ると考えたためだ。
 やや高そうなビデオカメラや、ごつごつしたマイクの取り付けられたボイスレコーダーやらが放り込まれたカバンを持ってやり、マンションから抜け出し、日陰を選んで進みながらそう問い掛けた。

「そっか、会社でもそう呼ばれてるわけじゃないもんね。
 何の捻りもないけど、ミトリって名前から取ってミトって呼んでるの」
「なるほど、ミトリから。名字しか覚えてないから分かんなかった」

 厳密に言えば、姓名どちらにおいても漢字だけは知っている。
 それを読めそうで読めないという状態のまま放置していたのだが、名前のみながら、ようやく理解できた。
 名字の方は分からないままだが、ここまで聞くのは怪しいと思われそうであったため、適当にそんなことを言って誤魔化した。
 幸いなことに、杏美は細かい点に気を向けるのが苦手らしく、話を合わせる際の多少のボロくらいはスルーしてくれそうである。
 ラスターの家に上がり込んでいた経緯を説明し――ただし怪我のことは伏せ、仕事から手が離せないということにしておいた――、これから夕飯の買い出しで近所のスーパーに行くことを説明すると、杏美も涼みに行きたいからという理由で同行することとなった。

「あたし、ミトからの頼まれ事があって話を聞きに来たんだよね。
 電話口では詳しいこと何も教えてくれなかったから文句言ってやろうと思って。
 でもなぁ…ねぇ、どうやったら仕事抜け出して会ってもらえるかな?」
「会えるかどうかの前に、そもそも何を頼まれたんすか」
「写真か動画が撮れて、できれば音も入るようなものを持って、夜になったら鑚ヶ丘中学校の校門前に来て欲しいって言うの」
「鑚ヶ丘って、俺の出身校だけど」
「え、そうなの!? あたしとミトも同じとこ! 偶然ってあるんだねー!」

 ばんばん背中を叩かれる。
 さっきのラスターの家の玄関ドアといい、テンションが上がったら何か叩かないと気が済まない性分らしい。
 全く骨の折れる存在である、いろいろと。

「さておき。あたしにしか頼めないって言われたのは嬉しいやら良いように使われた感やらがあるんだけどさ。
 駆け出しもいいとこだし、そもそも記者でもないから、機材の使用許可もらうのにもいろいろ申請が必要なんだよね。
 取り敢えず手元にあった自前のビデオカメラと、音質を考えて録音専用機は持って来たんだ」

 果たしてこの人に、半人前時代を駆け抜けられるのかどうかが気になったが、これも本人に報告しておくしかないか、と考えた。
 どうせ携帯に掛けても出なかったのだろうし、今の由乃にしてやれることは何もない。

「仕事の具合にもよるけど、取り敢えず本人には友達が探してたって伝えときますよ。せめて電話はさせるつもりで」
「助かるー…! えっと、そっちのお名前は?」
「近江川由乃。名刺は…置いてきちゃったな」
「平気だよ、直接仕事に関係することじゃない…と思うし!
 いや待てよ…うん、やっぱりあたしのは渡しておこうかな、連絡取れなくなっちゃうのも嫌だし。
 それにしても由乃か、可愛い名前だねー」

 茶化され、差し出された名刺を奪うように受け取り、「放っておけ」と一言文句を送る。
 それに対して、杏美も「きゃーお兄ちゃん怖いねー」と応酬してきたりしたが、店に着いてからは上司に連絡を取るというので、その場で別れることになった。

 とにかく騒がしい女だったが、ラスターにあんな友人がいたとは意外だった。
 やや抜けているところはあるようだが、至って常識的な人間だと思う。
 電話を耳に、恐らく上司相手に謝り続ける杏美を見送り、野菜から菓子まで一通り買い込んで、生モノが腐らぬよう持参した買い物袋に氷を突っ込む。
 再び茹だるような暑さに包まれる外に出て、足早に最後の目的地――ここからそう離れていない、廃工場のような建物の横に通る細い路地――へと歩き出す。
 ずいぶん時間を食ってしまったが、大刀が誰にも見つかっていないことを祈りながら、しかし暑さには勝てず、時折近くの日陰に入って休憩を取りつつ歩を進める。

(ラスター、か)

 世に認められることのない務めである以上、己の情報を過度なまでに保護する必要がある。
 掃除屋団体に所属していれば、そういった安全は上部が確保してくれるのだが、どこにも身を置かない彼女のような掃除屋は、通り名を設定するのが慣習化している。
 その第二の名も、今となっては掃除屋の仕組みとして公式に取り扱われるようになった。
 理由は先のような隠匿性の意味もあるが、掃除屋として働くことを国に申請しているにせよ、無所属のままではどの輩がどの依頼を請け負ったかが不鮮明になるため、その管理のための事務処理を行うのに便利だったからという話も耳にしている。
 ラスターがどういった心境でその名を口にしたのかは知らない。
 だが、少なくとも今日見た彼女の部屋には、殺人鬼としての彼女を連想させるものは一つもなかった。

 長束美利。
 隠し通されてきたはずの彼女の姿が、何者でもない本人の意思によって、音もなく、感情もなく、ただ事故であったかのように暴かれた――そんな気がする。
 これに何か意図があるのか、それとも単に彼女のうっかりだったのか。
 それによって意味合いが違ってはくるものの、由乃にとってみれば、面倒なことに巻き込まれたということに変わりはなかった。





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