「久しぶりー。今日も今日とて暑いね」
十数メートルほど先の植え込みに腰掛ける女を発見。
両耳を塞いでいたヘッドホンをずらし、片手を上げて挨拶する。
特に急ぐこともなくマイペースに歩いていると、しばらく待っていたらしい女が立ち上がり、ものすごい剣幕で近寄ってきた。
怒ってるなーと思っていると、携帯を突き出して、関を切ったように文句の嵐を吹き荒らす。
「遅い! メールにあった時間から二十分も過ぎてるのに、電話の一つもないってのはどういうこと!?
っていうか、そもそも昨日の留守電とメールには『何をするのか』を訊いたのに、ミトのメールってば集合場所と時間しかないじゃん!
なに、字が読めないの!?」
「そうかも…ついでに一般的な社会常識も忘れてきちゃった」
「殴ってくれってこと?」
「やだなぁ、暴力反対」
拳を握る杏美を抑えて、明らかに話を聞いていなかったような乾いた笑い声で誤魔化す。
それから数分を言い訳でやり過ごすと、杏美の怒りも徐々に収まり、ようやく落ち着いて会話ができる状態になってきた。
「…それで、今日は一体なにをするの?」
「まぁ、まだはっきりとは決まってないんだけど、杏美のためになること。たぶん」
「私の?」
なんとも言えない物言いの美利に、杏美は訝しげに顔を顰める。
「杏美自身というよりは、杏美の仕事のためというか。とにかく賭けみたいなものだから明言できないんだよね」
「いつも通りの行き当たりばったり感がよく伝わってくるわ……」
暇潰しに円を描くよう指を振り、かったるそうに天を仰ぐ美利の様子を見、杏美はあることに気づく。
「ミト、左手どうしたの?」
「へ?」
「ほら、包帯。ミイラみたいに巻いてるじゃん。怪我でもしたの?」
「あー、これ――」
何度か左手を握ったり開いたりして、ぎこちなく動かす。
絶対に見つかるだろうとは思っていたが、言い訳を準備してくるほど重要だとは考えていなかった。
これも行き当たりばったりに、いい加減なことを言って誤魔化すことにする。
「ジャグラーに憧れて、部屋の中で包丁投げ回して真似してたら肩にぐっさりと」
「……反射的に『また見え透いた嘘を!』って言えない辺りがミトらしいというか」
「はは…信じるか信じないかはお任せしとく」
昔からそんな非常識的な行動ばかりしていただろうか。
心当たりがあるようなないような…自覚がないから余計に困るものの、これ以上言及されないのなら手間が省けて助かる。
その原因もどうせすぐに分かるのだろうが、物事には順序というものがある。
(まぁ、その順序だって私が勝手に決めたことだけど)
それが急におかしく思えて、ぷっと噴き出す。
もちろんそんな美利の様子を理解できない杏美は、面食らったように口を半開きにしていた。
「ごめん、ごめん」と一頻り笑って、落ち着き始めたときのことである。
夕時の繁華街に鳴り響く、一発の乾いた発砲音。
「な、なに!?」
どよめき立つ周囲の人々たちと同じように、杏美も腰を抜かしかけながら驚いている。
ガードレールに座っていた美利は地に足付け立ち上がり、音のした方を向く。
「――いよいよ始まりですか」
戸惑う杏美の手を強引に引き、文字通りの雑踏を摺り抜け逃げ出す。
その横目、遠く離れた場所からこちらを眺める長身の青年を確認し、にやりと笑った。
「くそッ!」
拳銃を胸元のケースに収め、由乃は苛立ったように建設中のマンションから足早に去る。
「渡會って人さえ安全な場所に逃がせれば良かったんじゃないのかよ!
それがなんでこんな不法侵入までやらかして人探ししなきゃならねぇんだ、あの馬鹿!」
いつもの異様な外見の服を捨て、白を基調とした清楚な身なりに着替えたラスターに渡された、一人の男の画像ファイル。
掃除屋の登録に使用された証明写真のようで、認可当時の身長なども入ったものだった。
意味が分からず、その画像の意味を問い掛けると、彼女は「そいつを見つけたら、サイレンサーを切った状態で、空に向かって景気づけに一発撃ってください」とだけ答えた。
……最初と話が違う。
訴えても素直に耳を貸すような女でないことは分かっていたが、どうも腑に落ちず現在に至る。
しかし言われたことは、その通りに遂行してみせた。
「……あとはあいつに任せておけばいいんだ。手っ取り早く迎えに行かなきゃな」
とにかく、脳天気な女二人の元に、正体のよく分からないあの男がやって来るまでロクな時間は残されていないらしい。
何も知らない下っ端警官たちがこの騒動を嗅ぎつける前に、せめて渡會だけでも逃がす必要がある。
しかしラスターの言い分も考慮すると、あまり遠くに逃げるのもまた、今回の行動が無意味になるようだ。
面倒臭いと思いつつも辺りに誰もいないことを確認し、建設現場から静かに尾を巻いた。 |