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【 5.3 輪の欠けた内輪揉め 】



「お邪魔しますよ」

 日勤の人間が帰り支度を始めた刑事課に轟く、本日二人目の掃除屋の負けん気の強そうな調子の挨拶。
 職員たちも一同どこか呆れたような表情を浮かべ、その突然の来訪客を迎える。

「苗田さん、今日はずいぶんと遅いですね…っていうか元気ですね」
「九重さんと話をしに来たんです。奥にいるんですよね? あ、ちなみに受付はちゃんと済まして来ましたよ」
「はぁ、いや…まぁ……」

 困惑を浮かべる女職員を言い包め、「どうも、お疲れ様です」と声をかけながら閉め切りの会議室の前までズカズカと歩み進む。
 薬指に輝く指輪を気にしながら――こつこつと二回ノックする。
 中からの返事を待たずして勢い良くドアを開け放った先にいたのは、暗い部屋の中で一人、窓の外を眺めたまま呆ける中年男性。

「九重さん。これはどういうおつもり?」
「――そのセリフ、是非とも私にも使わせて欲しい」

 苗田の問いかけに、死人のような目をした男が振り返る。
 ここ数年、“御の字”に仕事を振り分けている九重という男だ。

「彼女の父親がどこにでもいる人殺しに成り下がったことも、それを処分するよう命じたのが私であることも、どちらも変わり様のない事実ではある」
「それはもう過去のこと。今聞いているのは、その出来事に振り回され続ける彼女のことですよ。
 彼女は無為に人を殺すことはしていないわ。
“もしかしたらそうなるかも知れない”芽を未然に摘めと、今回のあなたの指示はそういう意味でしょう?」
「…さすがに情報が早い。どこから仕入れた」

 さすがに貫禄のある男の問いに、負けじと挑発的に返答してやる。

「貴方達が今まさに処分しようと躍起になっている長束美利、本人からです」
「本人――?」

 苗田の言葉に、九重は俄に信じられない様子で小首を傾げた。

「どういった経路で掴まれたか、皆目検討がつかないな…何にせよ、私も納得はしていないさ。
 こんな動向に至る理由を上層部から聞かされていない状態での極秘任務というやつだ。
 ちょうど八年前、彼女の父の処分を強制的に執行させられたときと全く同じだな。
 掃除屋という存在も、社長殿から直談判を申し込まれたときに知ったくらいさ。
 そう、納得できるわけがない。人を守るために正義を身に覆ったというのに…」
「それでも逆らうことができない? 恐ろしいくらい絵に描いたような縦社会なのね」
「だが、結果的にその命令が国に恒常の平和を齎すのだと思えば、私の意思は愚者にしかならない。結果は絶対だ。
 感情を捻じ伏せて人を殺し続ける貴方達の方が、私のような偽善に生きる人間よりも痛烈に感じていることだろう?」

 そんなことはないと、声を荒げることができずに尻込みする。
 常に結果論で行動している…思い当たる節ばかりあった。
 悪を潰して善を得る。
 人にとって善であるはずの人を国の悪と変換して、それを排除することによって生まれる自らの罪悪を国の善と変換して――。
 その悪循環の中に私情を持ち込むことこそが悪であり、常識を脱した裏社会を維持することこそが善である。
 そんな反転の世界を平和と認識しなければならない苗田へ向けた、酷く辛辣な真実だった。

「…先程も言ったように、これは極秘事項だ。
 人知れぬところで繋がっているとはいえ、外部の人間にこれをだらだらと語っているところで、私の首もあったものではない。
 それならそうと、私にできることを好きだなだけ実行してみよう」
「――!」
「つい幾時間前のことだ。社長殿とも顔見知りらしい千代という掃除屋と、ここで今回のことについて話した。
 もう隠すこともないだろう。掃除屋に掃除屋を処理して欲しいという頼み事だ。
 所詮、私たちはその程度の綺麗事しか思いつかない…そう罵ってくれて構わない。
 しかし、問題はそんな卑怯な考え方の他に、もう一つある」

 この九重という男とは、仕事の関係で今まで何度か話したことがある。
 刑事ということで、別段任務に密な関係のある人間ではないものの、その度に彼の覇気のなさに驚かされてきた。
 しかし今の九重の瞳には、見たこともないようなぎらぎらした強い光が宿っている。

「…代実さんが相手だと聞いただけでも十分驚けるというのに、それ以外にも何か?」
「その女と共に行動している男がいる」

 九重の含んだ語りに痺れを切らしたように、苗田の胸ポケットから携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 慌てて取り出し、再び画面に表示された人物の名前を目にし、ぎょっとして九重を向く。

「――江塚孝馬だ」





「あ。苗田さんですか、度々すみません。あれ、重かったでしょう?
 いやぁ、面倒事に巻き込んでしまって申し訳ないです」

 努めて明るく、電話では伝わらない精一杯の笑顔を浮かべる。

『いえ、それはいいのだけれど…美利さん、あなたこれから何をしようとしているの?
 その怪我じゃ何もできないでしょう?
 それなのに刀を持って来て欲しいなんて言うんだもの、心配だってするわよ』
「イヤだなぁ。無茶はしませんよ、自分が一番かわいくて仕方のない人間ですからね」
『そうやって誤魔化していること自体が無茶だとは思わないの?』

 苗田の突き刺さるような言葉に、「う…」と小さく声を漏らす。
 自分でも滑稽だと思っていることを、彼女は包み隠すつもりなどさもないように、電話越しに放り投げてくる。

『おこがましいようだけれど、陸彌さんのことがあってから、あなたのことも我が子同然だと思って接しているつもりよ。
 そんな分かりやすい嘘で取り繕うのはやめなさい――お願いだから』
「やぁ…しんみりするのは性に合いません。あぁ、でもありがとうございます。素直に嬉しいです」

 さすがに適当なことはすぐに見抜かれてしまうらしい。
 これは突っ込んだことを訊いてくるだろう…こういう悪い予感だけはよく当たるものである。

『…美利さん。今、誰と一緒にいるの?』

 ぱたりと、つまらない嘘ばかり巡らせていた思考回路が停止する。

『言えない?』
「ひとりですよ」
『それも嘘。誰にだって分かるわ。
 そうやって何年も人との付き合いを拒んで、会話をするってことの感覚が狂っているんじゃない?
 …本当のことを教えて。こんなつまらない質問にまで掃除屋を演じるのはやめてちょうだい』

 首筋が寒くなってきた。
 彼女の言うように、ラスターもまた、彼女のことを家族と近しい人間だと思えるようになっていた――気がする。
 だからこそ簡単に甘えてはいけないと…無意識にそんなことを考えていたのかも知れない。
 久々に触れた人間臭さに気が狂いそうになり、電話を握る手に余計な力が入る。

「…今となっては、これこそが私なんです。
 でも大丈夫、もうこんなくだらないこと続ける意味も今日で終わりですから」
『美利さん!』

 これ以上は苦しくなるだけだ。
 そう思って強制的に会話を終わらせ、苗田の声がスピーカから漏れて聞こえる前に、素早く電源を落とす。
 ぶるぶると勢い良く首を振って、手荒く携帯電話をポケットに突っ込んだ。
 そして頭の後ろで腕を組んで待ちくたびれていた目の前の青年を向き直り、わざとらしさ全開でニコニコと笑う。

「やっと終わった?」

 見てくれに退屈そうな体勢を崩し、青年が言う。
 それに頷いてから、別に必要のない説明をしてやる。

「“メール騒動の原因は私でした”ってネタばらししようと思って掛けたけど、どこかのおじさんが要らないこと吹き込んだみたい」
「ああ、あの人ね。散々迷惑かけたもんなぁ。なに、お侘びのつもりとか?」
「んー…そんなところ?」

 ばふっと恥ずかしげもなくワンピースの裾を捲り上げ、その下に隠したナイフを手に取る。

「まぁ、もうどうでもいいや。機械音痴ってことで通ってるから、本元サーバにボム放り込んだなんて言っても信じてもらえないだろうし。
 このまま周りが暗くなると厄介だから、ちゃっちゃと終わらせよう」
「ちゃっちゃと、ね…」

 孝馬も同じように扱い慣れたナイフを構え、しかし目の前の女を一瞥し――げっそりとした風に呟く。

「俺がやっておいて何だけどさ――血塗れだよ、肩…」
「これくらいどうってことない! ハンデだと噛みしめて掛かってくればいい!」
「あっそう…柄可愛いのに、もう着れないな、ソレ」

 念を押すように「可愛いのは柄だけね」と悪戯に言う孝馬に「大事なことでも一度言ってもらえれば分かります」と返す。

 由乃に頼んだ、事の始まりを告げる銃声から数十分が経っていた。
 少し前まで逃げ惑っていた人も影すら見せず、蜘蛛の子を散らすようにどこかへと姿を消していた。
 まるで廃墟のように静まり返った街の真ん中で、ぽつりぽつりと降り出す夕立ちを浴びる二人は、どちらも見てくれに変てこな笑顔で不安を隠し対峙する。

 走り回っているうちに開いてしまった傷から溢れる血液が、雨を得て服を赤く侵していく。
 痛みにはとうに慣れ、清々しいほどに意識がはっきりとしていた。
 しかし、この状態もがそう長く続かないことは分かっている。
 適当に握っていたナイフをいよいよ前方に構え、赤の滴る左腕は垂らしたまま、私怨にまみれた開戦を告げる。

「これが三度目の正直だ」





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