舞台設定 登場人物 本編小説 他要項 トップページ
【 5.4 解れば判る 】



「……撃ってこない――?」

 建物から覗けた銃口を視界に捕らえた由乃は、それに気づかず辺りを見回していた杏美を突き飛ばし、とにかく彼女に銃弾が当たらないようにと奮闘した。
 しかし、結果としてそれは無意味なものとなったようだ。
 頭から滑り込むような形で杏美を退かした由乃が顔を上げたときには、すでに銃は陰すら失せていた。
 その代わりに、中からぎゃーぎゃーと騒がしい女の声が飛んでくる。
 誰かが阻止したらしいが――それよりも杏美の安否確認が先だ。
 思い出したように振り返ると、もう少しで後転しそうな勢いで背を打ったらしい彼女が、しかし手に持ったカメラだけは壊すまいとした結果…ちょっと危ない姿勢になっていた。
 具体的には、やや開脚した肢体の間…つまりは股から、両手に握られたカメラがにょっきりと生えてきている。
 周囲の人間が慌てふためいて逃げていったこともあり、嫁のもらい先の有無を左右するような彼女の失態は大して目立たずに終わりそうだ。

「お、おい…生きてるか?」
「生きてる…カメラは?」
「ああ、傷一つないよ」

 由乃の言葉を聞き、不貞腐れた顔をした杏美が上体を起こす。
 後頭部を打ったようだが、元々丈夫なのか鈍感なのか、何度か摩る程度で痛みは治まったらしい。

 ものすごく不服そうに見える。
 何も聞き入れなくなる前に納得させておく必要があると思い、少し言い訳がましく説明することにした。

「ちょっとヤバそうなことが発覚して慌ててたところだよ。あんたがぽけーっと立ってる真上に物騒なモンが見えてたんだ。
 いきなりで悪かったとは思うけど、不可抗力ってやつだったんだ、さっきのは」
「――ヤバそうなことって、何?」

 何かにしっくりきていないような顔で、しかし由乃の話をほとんどスルーして問いかけてくる。
 拍子抜けするが、ちょうど彼女に聞かなければならないことがあったところだ。
 手を貸して立ち上がるのを手伝い、スーツの砂埃を払いながら、芳原から聞いた名前を思い出し、訊く。

「あんたの同級生に江塚って男がいるらしいけど、覚えがあるか?」
「…知ってるよ。あたしとミトと同じ部活だったし、それにミトとは――ちょっと待って。
 江塚くんがどうしたの? ヤバいって、何がどうヤバいの? どうして江塚くんのこと…それに、東京に戻ってきてたの?」
「いや、俺もさっき初めて名前聞いただけで、詳しいことはほとんど知らない。
 でもあいつ…美利が、その江塚って人に何か仕出かそうとしてるらしい。単なるイタズラなら面倒くせぇから放って置くんだけどな――」
「ってことは……この騒ぎに関係があるってこと?」

 杏美の肩が一瞬だけ震える。
 だがすぐにカメラを握る力を強め、手が白くなるのにも気づかない様子で唇を噛む。

「江塚くん、昔ミトと付き合ってたの」
「付き合ってた!? …あいつが?」
「もちろん友達の延長みたいな感じだったけど、それでもすごく仲良かったんだよ。
 ああ見えても頭は良かったから、テスト前になると勉強も教えてあげてたし。
 江塚くんは江塚くんで、ミトのワケ分かんない話にも付き合ってた。
 中学生の恋愛なんて大抵そんなもんだろうけど、それでもすごく楽しそうで羨ましいくらいだった。
 でも、ある日突然、二人して学校に来なくなって…何週間かそれが続いたと思ったらミトだけ出てくるようになったけど、江塚くんはそのまま九州に引っ越しちゃったらしいの」

 杏美の話す内容に聞き入る由乃の脳裏には、ラスターの家で見た一枚の家族写真しかなかった。

「何があったか、もちろん聞いたよ。中学生くらいじゃ聞いて良いことと悪いことの区別なんてロクにできないでしょ?
 由乃くんは多分知ってるだろうから話すけど…お父さんが亡くなったってこと、笑いながら説明してた。
 江塚くんの転校はただの偶然で、二つが重なってたせいで塞ぎ込んで、なかなか学校に来れなかったって。
 それまであんまり笑わない子だったんだけど、その日から今みたいな感じに変わったと思う。
 なんとなくだけど、『ああ、引き摺ってるんだな』ってのは分かってたよ」
「……馬鹿な俺にも、なんとなく分かってきたぞ」
「あたしもそれなりに馬鹿だけど、ミトが適当なこと言ってあたしを呼んだ理由…なんとなく分かる。
 ほんとになんとなくだけどね。ついでに、お父さんが亡くなったときに、江塚くんと何かあったってことも…」

 俯き、垂れ落ちた長い髪で顔を隠す。
 啜り泣く声に遅れて、熱せられた地面に涙の粒がはらりはらりと落下する。

(あいつ、こうやって心配してくれる人がいること知ってんのかな)

 誰も寄せ付けない、破天荒な女。
 それがあらゆる物事を計算し尽くして作られた子供騙しの人格であったとしても、彼女がこんな優し過ぎる友人を簡単に巻き込むのだろうか?

「…美利と一緒だったんだろ」

 恐らく、ラスターはそういう人間ではない。
 もうただの直感でしかないが、その信頼の裏付けを取るため渡會に問い掛ける。
 ラスターの独断で行われた打ち合わせでは、渡會とラスターが二人揃うことであの男を誘き出し、由乃が渡會の護衛を引き受けるはずだった。
 予定が狂ってラスターが渡會を逃がそうと奔走しているのは肉眼で確認できたのだが、それからの動向はさっぱり分かっていない。
 言うまでもなく、携帯電話が通じることも普段通り有り得なかった。
 これからどうすべきかを考える意味でも、この質問はしておくべきだと思ったのだ。

 由乃の短絡的な思考に、しかし似たような程度の渡會が、答えるのを躊躇うこともなかった。

「……一緒だったよ。何も知らされないまま、そこの公園で御前って男の人に引き渡されたけど」
「あのオヤジ…御前はどこだ。まさか置いてけぼり食らったとかじゃないだろ?」
「…やっぱり知り合いだったんだ。
 さっきこのビルの前を通ったら、急に『ちょっと待っててくれ』って言い残して、慌てて上がっていったよ。
 怖い顔して上の階睨んでたけど、何かあったのかな…さっきから女の人の声も聴こえるし」
「――なるほど。俺もちょっとここに気になることがあるんだけど、一緒に来た方がいい。
 美利や御前ほど頼りにはならないけど、一人でうろうろするより気楽だろ?」

 言って、胸に潜めていた拳銃を取り出す。
 渡會の表情が引き攣るのが分かるが、今はこんなことにいちいち驚かれては堪ったものではない。

「何が起こるか分からない状況だ。あんたには悪いけど、もしものことがあったら人に向けるかも知れない。
 まぁ、それも俺がビビらなきゃの話だけどな」
「…ミトも由乃くんも、そういうの持ってるんだ。ミトの言ってた『杏美の仕事のため』って意味も分かってきたよ。
 予想がハズれてばいいんだけど――多分無理だよね」
「俺からはなんとも言えないな…とにかく、御前の野郎に文句言わなきゃいけねぇや。上、行くぞ」





「放せよ、うんこ野郎」

 絨毯で埋まった床に左頬を押し付けられた千代が、腰で組まされた細い両腕を解こうともがきながら、上に伸し掛る男に向けて暴言を吐く。
 視界の外れに入り込むライフルを羨ましげに眺めるが、到底手に取ることはできそうにない。

「事情を知ってラスターに同情でもしたか?」
「あいにく、俺は騒動の真相は知らされてないもんでな。同情もクソもないさ」

 見てくれにイライラしているのが分かる。
 好戦的な女にニヤリと笑って見せ、ズボンのポケットに突っ込んであった縫合糸を取り出す。

「ついでに改めて言っておくが、俺とお前はただの赤の他人だ。
 金のトラブルこそ残っちゃいるが、互いの生き方に首を突っ込む義務も権利もないことはきちっと理解しておけ。
 …と言ってる俺がどうして手を出したかって話だが、ここまで来ると、誰がどう見ても道理に適ってないだろ?
 俺はヒーローでも悪党でもないから、誰かの損得を考えて行動してるわけじゃない。
 カケラばっかり残った俺の良心のまま、非を改めさせようと、そう単純に動いたってだけさ。少なくとも今だけは、な」
「無知がよく言う…だったら祭りの前興だ、特別に教えてやる。
 今回のこの騒ぎを起こしたのは、てめぇが擁護してやってるラスター本人だ。
 警視庁サーバを経由してメールの一斉送信なんて湿り臭ぇ手段で本名晒して、江塚って因縁の男を一本釣りさ」

 おおよそ有り得そうもない話を、大真面目に並べる千代。
 すでに抵抗する気すらないらしい彼女の腕と足首を、極細の特殊糸でぐるぐる巻きにして放置する。
 やはり汚い言葉を吐くが、糸を切ろうと力を加えればどうなるか分かっているようで、歯を食い縛るだけに治まり、ようやく静かになった。

「…あの姉ちゃんに、そんな高度なことができるような頭はないだろ」
「上辺を見ただけならそうだろなァ。どうやらそっちの社長しか知らないらしいが、元々アレは文武両道なのさ。
 まぁ、どんだけのことができるかってことまでは把握してねぇけど、クラッキングに関しても、或はそれなりの知識を持ってる可能性だって十分にあるワケだ」
「なるほど…なんとかと天才は紙一重だもんな。確かに絶対に有り得ないとは言い切れないかも知れねぇ。
 いいこと教えてくれてありがとよ。まぁ、だからと言って、これ以上自分から首を突っ込むような愚かなことはしねぇけどな」

 新品同様に手入れの行き届いたライフルを拾い上げ、肩に掛ける。

「義理とかなんだとかって面倒臭ぇもん、俺」

 そこで大嫌いな警察の到着でも待ってな。
 外に置いてきた丸腰の女のことを思い出し、まだ言い足りないのを抑え、足早に階段を下りていく。
 そのときだけ一言も発さなかった千代に気味悪さを覚えるが、取り敢えず事無き終えたことにした。
 三階に下りる踊り場で一服しようとタバコを探していると、背後から「御前!」と聞き慣れた少年の声が反響して届く。
 かったるそうに返事をして振り返ると、ラスターから預かったあの女も一緒だった。

「…よう。さっき元嫁に会って聞いた話なんだが――」
「江塚ってやつのことか? それならもうロクさんから聞いて、事の整理も大方終わったとこだ」
「あっそ――ちなみに、ラスターの行方は知らないぞ。
 話の流れからして、その江塚とやらを追ってるのは間違いないんだろうが、そうなると怪我も何も気にしちゃいられないだろうな。
 またいつどこでぶっ倒れるか分からねぇ」

 やっと探り当てたタバコに火をつける。

「ともかく、最初はお前がその姉ちゃんの子守り頼まれてたんだろ? それなら、それまでの間の代役はお暇させてませてもらうぞ」
「ちょっと待て…! せめてあいつを見つけるまで――」
「ほらよ」

 こんな徒広い街中から二人ばかりを見つけるのは至難の業だ。
 どうしても人手が欲しい。
 そう思って御前の去り際を妨害すると、肩に掛けていたライフルを由乃に向けて無造作に投げつけてきた。

「どうせ走り回って苦労するより、そのサイト覗いた方が楽だろ。いざってときは撃っても良し、だ。
 あいにく俺には扱えねぇし、それはお前にやるよ――ああ、それと」

 煙を吐き出し、面倒事にならぬよう、念を押しておこうと振り向く。

「それ持ったまま上の階に行かない方がいい。
 頭いっちまってる女が寝転んでるんだが、たぶん血相変えて追っかけてくるからな。
 事が済んだんなら、その銃はそこら辺に放り捨てて行動した方がいいぞー。
 …ってことで、俺は帰って寝かせてもらうわ。姉ちゃん、くれぐれも気をつけてな」
「はぁ…取り敢えず肝に銘じときます」

 これ以上、何をどう気をつければいいのか。
 杏美のそんな行き過ぎた迷いの滲み出た返事が、暗がりの建物に響いて消えた。





前話 モドル 次話
Copyright (c) Ai-R 2010.