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【 X.X エピローグ 】



 蝉の声がする。
 去年もこの喧騒を耳にして、また私の季節が来たと心踊らしたのを思い出す。
 生命が輝き、白い空が辛うじて青を纏うこの夏、私は何かしら面倒事を巻き起こし、周囲を巻き込む慣例があるらしい。
 父と母の眠る墓を桔梗と百合の花で飾り、そこに挟まれた水鉢の凹みに飲みかけの水を注ぎ込んで、入りきらなかった分をその場で飲み干して汗を拭う。
 照りつける太陽の光に輝く色の抜けきった霞色の髪も、汗でじっとりと濡れてしまった。
 タンクトップから露出した白い腕は薄らと油に汚れていたが、構うことなく取り出した線香にライターで着火。
 しかし湿気にやられて上手くいかず、再度試みては失敗…その作業を何度か繰り返した後、しゃがみ込んでから香炉に火のついたそれを乱雑に突っ込み、数秒だけ手を合わせてすぐに立ち上がる。

「………」

 半端に水の入っていた木桶を持ち上げて水道場へと向かう途中、以前から気になっていた墓石が目に入る。
 久し振りに墓参に来たせいか、墓誌には“信女”で終わる新しい戒名が刻まれていた。
 その享年と没日を見て、一年ほど前に自分の発した身勝手で無責任な言葉と、それを向けた車椅子の女を思い出す。

「…同い年だったんだ」

 木桶を一旦地面に置き、墓石の掃除で濡れてしまったズボンのポケットを探り、やがて出てきた飴玉一個を香炉の上に供えて、静かに手を合わせた。

「“似てる”だなんて…とんでもないこと言ってごめんなさい」

 やはりこれも手短に済ませ、立ち上がる。
 やや名残り惜しくもあったが、薄情なもので、皮膚が焦げるのではないかと危機感を覚える暑さに負けて片付けを済ませることにした。
 近くの水場で、これもガサツに木桶を洗い、所定の位置に逆さまにして置く。
 ようやく乾き始めていたズボンが再び水で重くなってしまったが、特に気にするでもなく、バイクが一台だけ停まっている駐車場へと向かう。

 数百の墓石が建ち並ぶこの集団墓地も、真夏の酷暑のためか閑散としていた。
 まだ朝九時にも満たぬ時間であることも影響しているのだろうが、場所も相まってひどい寂寥感を覚える。
 ミネラルウォーターの入っていた空容器をゴミ箱に放り捨て、木陰に佇む自動販売機で新たに緑茶を購入、その場で蓋を開けて勢い良く摂取する。
 人目をはばからずぼーっと木の葉を眺めていると、やがて一台の青い乗用車が駐車場へ入ってきた。
 線香やライターの入った荷物を、事前に寄せておいたバイクのハンドルに引っ掛けつつ横目で観察し――口元を笑みで綻ばせる。

 運転席から降りてきたのは、目つきの悪い黒髪の青年。
 それに続いて、寝ぼけ眼を擦る気弱そうな男と身篭っているらしい女が後部座席から出てきた。
 三人とも若い。
 向こうも周囲を気にする素振りはなく、気の向くままにぎゃーぎゃー騒いだりしながらトランクを開け、仏花などを取り出して施錠している。
 それからその場で二言ほど言葉を交わしたと思うと、おっとりした様子の男と、それに支えられた女が墓地へと向かい、残った吊目の青年がくるりと方向を変え、こちらへと向かってきた。
 どうやら自販機に用があるようだ。
 ある程度近づいたところで、ようやく青年の方もバイクと、それに隠れるように座っていた私に気づいたらしい。
 一瞬だけ動きが止まったものの、極力気にかけないよう努めているのか、ろくに視線も合わせようとせず硬貨を投入した。

 そこに、徒に声をかけてみる。

「――去年の今頃の、あの騒動…悪い噂としてメディアでそれなりに取り上げられたそうですね」
「は…?」

 青年は拍子抜けした様子で疑問符を浮かべた。
 購入を促すボタンが、太陽に負けじと点灯している。

「東京の繁華街に突如として現れた、二人の血塗れの人間。
 九重という刑事による、警察の抱えていた殺し屋の存在に関する内部告発。
 一部始終をカメラに収めた編集社の新米社員。
 その事件で唯一体的な被害を受けた男性による、さらなる内部事情の露呈――まぁ、最終的には全部揉み消されたようですが…」

 その場で立ち上がる頃には、青年は表情を強ばらせて動けなくなっていた。
 どうにもそれがおかしくて、他人事のように笑ってやる。

「事が収まるまで軟禁状態だったせいもあって、終始一貫して見届けられなかったのが残念でしたが…元気そうで何よりです」
「おい…マジかよ――」

 ついに、青年もその緊張を砕く。
 気の抜けたような声に喉を震わし、以前の面影を捨て去った真っ黒な髪を掻き毟って…同じように不条理な世界を笑った。

「しぶとくも帰って参りました――“私”とは初めましてでしたっけ?」

 硬くなっていた皮膚も女性のそれらしさを取り戻した掌を差し出し、私は目一杯混乱しているらしい青年に向けて、図々しくも、以前と変わらぬ調子で言う。

「長束美利です。よろしく」





 二〇三二年八月二八日、午前八時五〇分。
 かつて死人を生んでいた二人を、死人が呼び寄せた瞬間である。





モドル
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