1章 雨毒と廻人(5)
「キナリちゃんには改めての紹介になるけど、俺がムロビシで、カラスくんの隣にいるのがアカアリだ。面識があることは覚えてるね?」
「イヤってほどにな。そもそもお前ら何者なんだよ」
「いい質問だねぇ!」

 愉快そうに言いながら、ムロビシはカラスとキナリへティーカップを差し出す。
 警戒して受け取ろうとしない二人へ、「ただの紅茶だ」と自分の分へ口をつけて見せる。
 二人は目を合わせるが、キナリの不安げな様子を察して、今度はカラスが先導してそれを受け取った。
 湯気が立つほど温かく、心地の良い香りが漂う。
 真似するようにムロビシからカップを手に取るキナリを見、少しだけ口に含んでみる。
 特別味があるようには感じられないが、香りが口から鼻に抜けていくのは新鮮な経験だ。
 目新しさに挙動のぎこちないカラスを眺めるムロビシは、ぐいっと大きく紅茶を飲み込み、カップをトレイに戻して話し始める。

「俺たちは君らのような身寄りのない“新人類”と呼ばれる括りの人間の保護にあたっている。保護ってのは“新人類”の皆々様方にここまで同行してもらう代わりに、こういった食事であったり、一般的な教養であったり、様々な世話を引き受けるようなもんだな。よって、俺は君らに危害を加えたいってワケじゃぁない。まずここだけは明確にさせておこう。……残念ながら、アカアリは別なんだが」
「……別?」

 二口目の紅茶を飲み込んでから隣のアカアリをちらりと見るが、やはり瞬きもせずカラスを眺めている。
 今にも襲い掛かってくるのではないかと思うと冷や汗が止まらない。
 そんなカラスの心情を知ってか知らずか、睨み合う二人を横目に、キナリも床に座り込み、ようやく紅茶に挑む。
 恐る恐るカップを傾けるのだが、唇に触れた紅茶の温度に驚いたのか、びくっと肩を震わせてしまう。
 それを見逃さなかったムロビシの視線を感じる。
 いい気分はしないとむくれながら、黙って同じ動作を取る。

「お気づきの通り、アカアリには言葉や感情っちゅーようなもんがほとんど通用しない。身振り手振りで多少のコミュニケーションは取れるけど、ちょっとでも気に食わないことがあるととにかく暴れ回るもんだから、二人とも、また痛い目に遭いたくなけりゃ気をつけた方がいい。聞き分けが悪い癖に、腕っ節だけはやたら強いのも困ったもんだ」

 二人とも、ということは?
 ムロビシの言葉が引っ掛かりキナリを向くと、少女は()まして小首を傾けた後、肩に掛けていたタオルをひらりと持ち上げる。
 隠すようにしていた服の左胸部分には切れ目が入っており、そこから緋に変色した肌が見える。

「……一緒。アカアリに」

 ぼそっと呟く。
 カラスにそれだけ伝えると、タオルを元のように戻して縮こまり、カップを両手で包むように持つ。
 視線は誰もいない部屋の隅へと向けている。
 一連の行動に彼女なりの思考が表れているはずなのだが、そんな情緒的な勘など働くはずもないカラスは、見てくれに表情を引き攣らせた。

「うっわ……。ヤな色してんな」
「いやいや。他人事みたいに言ってるけど、カラスくんの傷も全く同じだからね?」
「はぁ!? まじかよ」

 いてて、と呟いて足を組むムロビシから、無神経なカラスへちゃちが入る。
 一人で騒がしくしている少年と、もはや自分の話は終わったものだというように沈黙する少女の顕著なまでの反応の違いを楽しむムロビシは、続いて平たい皿をそれぞれ配る。
 黄色っぽい、ほのかに甘い香りのするスープ。
 コーンスープという名称であるらしい。
 ごつごつした男の手から皿を受け取ったカラスは、左頬の傷を気にして再度撫でてみる。
 だが、目に見えない位置にあっては確認できようがないことに気づくと、諦めて食事に専念することに決めた。

 次いで手渡されたスプーンという器具でスープをすくい上げて、ごくり。
 とろっとした舌触りと共に、甘みと、僅かな塩味が口や鼻に広がる。
 さきほどの紅茶よりも好みだ。
 気に入り、二口目も掻き込んだとき、左隣に座ったままのアカアリの存在を思い出す。
 彼女の手は空のまま。
 どうやら食事を用意されていないらしい。

「なぁ、おっさん。こいつの分はないのか?」

 カラスの問いに、ムロビシはスプーンを(くわ)えながら唸る。

「アカアリは食が細いっていうか、あんまり興味がないっていうか……」

 おもむろにトレイの上のパンを掴むと、アカアリに見える位置で左右にゆっくり振ってみる。
 彼女の視線はそちらへ移ったものの……一瞥した後、すぐカラスへと興味が戻ってしまう。
「いっつもこんな感じ」と肩を竦めるムロビシと、「オレのことは放っておいてくれて良い」と苦い顔のカラス。
 なんとなく波長の合ってきた男二人へ、スープに手をつけずにいたキナリが語気を強めて言葉を挟む。

「ムロビシは、わたしたちの何を知ってるの?」

 はっきりとした物言いだった。
 今までと少し様子が違うのを、カラスは怪訝そうに見ながら食事を進める。
 問いかけられたムロビシも一瞬驚いたように目をぱちくりさせたが、すぐに調子を戻して応じた。

「あー……。順を追って話そうか」

 アカアリの機嫌を取り損ねたパンを齧る。
 二人もいつでも食べていいよと言うように、空いた手で残りのパンを指差し示した。

「この国――ネヴェリオ連併(れんぺい)国が所有する巨大兵器〈ヨサメ〉が、三年前に暴発したのが事の発端になるね。どれだけの大きさなのかは、あとで外に出てみれば分かると思う。とにかくでかい〈ヨサメ〉は、元々建造されてから何十年も放置されてきた謎の多い兵器だったんだが、それがある日突然、地鳴りを上げて黒い煙みたいなものを放出したんだ。空に向かって、大量にね。煙は雲に混ざって何日か漂ったあと、全く同じような色をした雨を降らせた。不気味な色以外には何ら変わった点もない、普通の雨だったと思うね。ところが、数日降り続く内、雨に直接当たった人間や動物が大勢死んだり、直撃を免れた連中も生殖機能が低下したり、とにかく散々な症状に悩まされることになってなぁ」
「……もうちょい簡単に説明しろよ。言ってること全然分からねぇって」

 瞬きも少なに聞き入るキナリとは対照的なカラスが、懐かしげに語るムロビシへいちゃもんを入れる。
 その手にはしっかりパンが握られていて、すでに何度か噛み切った形跡がある。
 すでに飽きたかのような様子だ。
 そんなカラスの隣、さらに不満げな目で彼を睨むキナリに気を向けつつ、ムロビシは説明を改める。

「まぁ、得体の知れない雨が降ってきて、子供を作れない体になっちゃったって感じでオッケーだよ。これが国土全域と隣国の一部にまで降ったこともあって、たかだか数日の間に人口急減、一気にろくでもない生活をしていく羽目になっちまったのね。欲を言えば、その数日だけで終わってくれりゃ良かったんだけど……」
「まだ降ってるってか」
「そゆこと。さすがに毎日降り続けているってわけじゃないが、ごく普通に、雨雲から雨が降る自然のメカニズムに完璧に組み込まれてる感じだねぇ。雲が晴れることもなくはないけど、年に数える程度かな。太陽の光が拝めなくなったせいで気温は思いっ切り下がったし、雨とは関係のない心身の不調を訴える人も後を絶たない」

 最後の一切れになったパンをスープに浸し、ぱくりと食べる。

「あらゆる面で不便な中でも一番困ったのが、俺らが今食べているような飯の確保だったね。パンで例えるなら、麦を育てる農家、粉を挽く業者、生地を練って焼くベーカリー……みんながみんな、忽然といなくなったようなもんだ。特に卵であったり牛乳であったりいう生鮮食品は、家畜自体が野晒しに育てられなくなったもんで、なかなかありつくこともできない状態が今も続いてる。さすがにこのままじゃいけないってことになって、すぐさま世界規模で計画されたのが、君ら“新人類”の開発だ。つまり、君たちはものすごく頭のいい人間によってつくられた、人間に代わる新しい人工生命ってとこだろうね。この辺の話、二人にも思い当たる節があるんじゃない?」

 投げかけに、キナリがハッとする。

「……あのおじいさん」
「当たり!」

 どことなく楽しそうにするムロビシ。
 綺麗に三等分した卵焼きの一つを頬張り、彼の食事は一段落したようだ。
 カラスもムロビシがスプーンで切り分けた卵焼きのうち一切れを食す。
 ……会話には相変わらず関心もなさ気である。

「じいさんが大元の誰かしらに依頼されて、二人の生育に携わったってことだ。君らをここに連れてきた後、あの家にもう一度出向いて持ち帰ってきた書類にも記載されてたから間違いないだろうね。君ら“新人類”には、俺らと根本的に異なる性質がいくつかある。一つ目は『致命傷に耐え得る身体構造』であること。これは雨に対抗するためでもあり、そのほかのアクシデントで簡単に死んじまうことを回避するためだ。二つ目は『〈星霜匣(データ・プール)〉による細胞修復』。これが廃街でちょろっと話した、特定の条件ってやつになる。〈星霜匣〉ってのは、ついさっきまで二人が浸かってた、あの容器と液体のことだね。俺も詳しい仕組みは分からないまま本部に支給されてるけど、“新人類”の中でも、君らのような〈廻人(ねど)〉に分類される子たちの身体維持に必要な溶液なんだとさ。アカアリにやられた傷が塞がったのは〈星霜匣〉のおかげであって、放置してたら治るものも治らないという意味では不死身とは言い難い。現に今回も塞がるまでに丸一日かかったしね。あんまり驕らないようにした方が身のためだってのは是非とも覚えておこうか。怪我はなくとも、毎日浸かって休む! これについては俺らがベッドで寝る行為と同じだと思って習慣づけてください。っと、ほかにもいろいろあるんだけど……今のところ、ここまでは大丈夫かな?」
「毎日風呂に入ればいいんだろ」

 段々と調子に乗ってきたらしいムロビシの呼び掛けに、カラスはしれっと答えた。
 予想と異なる反応に対してムロビシは困り顔を浮かべる。

「おいちゃんいっぱい喋ったのに、かなり簡略されちゃったような――」
「だからもっと簡単に話せって言ったんだよ!」

 自分の乏しい理解力について反省するとか、カラスにはそういった考えがまるでないようだ。
 足を放り投げたその姿勢からも興味のなさを余すことなく察せる。
 一方で、膝を抱え、黙って頷いたキナリは、少し間を置いてから次の疑問を浮かべる。

「ムロビシとアカアリは、わたしたち〈廻人〉をどうするの?」
「――と、言うと?」

 聞き直されて、俯き、言い淀む。
 ムロビシとは視線を合わそうとせず、それでも気にかかった事柄を解決しようと言葉を選んで、発する。

「……用もないのに、保護なんて面倒なことしないかなって」

 キナリのその言葉に耳を傾けたカラスは、それ以降、口を堅く(つぐ)んでしまった少女を確認し、天井を仰いで悩むムロビシを見る。

「なんだ。オレたちに用なんかあったのかよ」
「んー、まぁ……そういうことになるね。――嬢ちゃんは察しがいいや。どうせその話をするなら、隣の部屋に来てもらった方が手っ取り早い。キナリちゃんが食べ終えたら行こうか?」
「……いい。歩きながら食べるから」

 なにか焦っているのか、何一つとして底の見えていない食器を抱えようとするキナリ。
 カチャカチャと音を立てる様子を見て、カラスがすっくと立ち上がると、キナリの手から奪い取るようにしてスープ皿を持つ。

「全部は無理だろ。皿だけは持ってやるよ」

 まさかの人物からの、思いもよらぬ配慮だった。
 気遣いを受けたはずのキナリは、奇妙なものを見るように眉を(ひそ)め、目を丸める。
 言葉にこそ出さないが、彼女が相当驚き、戦いてすらいるのを感づいて、ムロビシはにやにやする。

「ははぁん。少年も男だったのねぇ」
「あァ?」

 それはどういう意味なのか掴めないが、明らかに褒められていない。
 カラスにもその程度の違和感は判断がつく。
 口端を吊り上げ睨みを利かすと、ムロビシは肩を竦めて見せてから立ち上がる。
 キナリも釣られるようにして起立。
 紅茶とパン、小さな手にどちらも握り締めている。

「何でもないよ。そんじゃ移動しますか」

 空っぽになった食器と、キナリの分の卵焼きだけが乗ったトレイを抱えて、未だに座り込んだ状態を保っていたアカアリへ、片腕を大きく上下させて立ち上がるよう促す。
 女は髪を揺らしながらその動きを目で追うだけでいたが、何度か繰り返された頃には身を捩るようにして立ち姿勢を取る。
 準備が整ったところでムロビシがドアの外の通路へ向かうと、これだけは慣れているのか、アカアリもすぐに後続する。

「カラス」

 何の気なしについていこうとしたカラスの背に細い声がぶつかる。

「ん?」

 指の腹に皿を乗せようと遊び始めた少年が振り返ると、キナリは目を伏せがちに一言だけ放った。

「ありがとう」
「おう。早く食っちまえよ」

 どうやら少年は、その感謝の言葉にも大した意味を見出だせない性分なのだろう。
 単純な遊びの傍ら素っ気ない返事を終えるカラスに物足りなさを覚えつつも、ある種の諦めがついたように、キナリもドアをくぐった。
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