2章 砕花(4)
「ちょいと予定変更。ばあさん捜索についての大まかな流れだけど、今、街に着くまでに説明しよう」
「おう」

 ムロビシの提案に、カラスが待ってましたとばかりに快く返事をする。
 彼の場合、別に大きな目的があるがための上機嫌なのだが……円滑に会話が運ぶのならなんでもいいだろう。
 ムロビシは隣の助手席に置いた自身の荷物をまさぐりながら、やや早口に話を始める。

「検問を通過して道なりに真っ直ぐ進むと、でかい駐車場が設けられている中央広場へ出る。そこに車を置いてから二手に分かれよう。おいちゃんとカラスくんで買い出し、ヨサメ観覧を終えてから捜索へ。アカアリとキナリちゃんは最初からがんばって人捜しってことで」
「……アカアリと? 二人だけで?」
「そう。ここのところのキナリちゃんを見てる分には、たぶんアカアリを上手いこと扱えると思ってね。カラスくんにはそんな芸当できないだろうし、ヨサメを案内できるのはおいちゃんだけでしょ? アカアリを単身で野放しにするわけにもいかないとなれば、これがどうしたって妥当なのよ」

 突然の告知に、カラスとキナリはぎょっとして互いを見つめ合った。
 ただでさえ車酔いで混濁していたキナリの血色がさらに青褪めていく。
 体中に目一杯力が入っているのか、唇を真っ白になるまで食いしばる少女の様相を見、今にも泣き出しそうな顔もおもしろいなと、カラスは意地悪く歯を見せて笑う。

「キナリ、おまえ今日死ぬんじゃね?」
「……」
「顔、引き吊ってるぞ」

 言って、キナリの頬を両手で挟むようにして軽く叩く。
 見る見る緊張していっているのが分かるが、しかし、仮に自分が彼女の立場だったとしても、同じように堪まったものではないと思うはずだ。
 アカアリは猛獣そのものに紛いがない。
 ましてやキナリはカラスと違い、体を鍛えることも全くしてきていないことを考慮すると、ムロビシに言い渡された組分けは()わば死亡宣告に値するだろう。
 不幸感を露わにするキナリを目の前に、この役割を与えられずに済んだことを心の底から喜び安堵する。

 以前と比べれば、キナリがアカアリの扱いに慣れてきたのは事実なのだが、それはあくまで住処という環境下においてのみの話。
 今日、これから向かう大都市で同じように振る舞うなどというのは到底無理ではないか?
 人生経験のごく浅いキナリですら即座にそう考え及ぶほど無謀極まりない提案なのだが、ムロビシときたら、何故かやたらと楽観的に言葉を続けるのだ。

「もしアカアリが暴走したとしても、下手に止めようとしないで放置してくれていいからね。星霜匣のない環境で大怪我でもしようもんなら、例え廻人であろうが、旧人類と同様、致命傷に直結する。絶対に死なない体ってわけじゃないことは忘れずに。なァに、アカアリのそういう突拍子もない動きだって、ある種の重要な役割でもあるから心配しないでいい」
「……どういうこと?」

 今は不安なほど静かなアカアリだが、どんな些細なことでスイッチが入るかも分からない。
 普段家にいるときでもそうだ。
 万が一の際の対処については念を押して聞いておくべきだろうと吐き気を堪えて問いかけるのだが、対してムロビシは、間近に迫ってきたロットラントをじっと見据えて、これまでの冗長な様子を一変させ言葉を選ぶように小さく唸る。

「街に着けば雰囲気で分かるとは思うけど――まぁ、新人類の存在をアピールする機会ってとこかな。ばあさんも騒ぎを聞きつけて姿を現すかも知れないじゃない?」

 釈然としない物言いのあと、「はい」という呼び掛けと共に、出発前に確認した書類を今一度渡される。
 カラスが身軽に受け取ると、二人の視線は老婆のしわくちゃな顔写真へと自然に向く。

「よく見れば見るほど、シワシワで変な生き物みてーだな。キャレーのジジイも似たような感じだった気がすっけど」

 助手席のシートにしがみつきながらじっと見つめていたカラスが、身も蓋もない率直な感想を放つ。

「長く生きた人間なら誰しもが辿るのが老化現象さ。君たちだって例外じゃない」
「オレたちがそうなら、おっさんだって一緒だろ」

 ムロビシが小さく笑いながら「暴言はやめなさい」と注意するのを眺めるキナリは、全く説得力がないなぁと呆れ顔である。
 思ったことを口にすればカラスがすぐに逆上するため、相手を悪く言うべきではないと、キナリはここ数日で学んできた。
 ちょうどその対象である老婆はここにいないので問題ないのかも知れないが、なんとなく、心地の良いものではない。
 だからと言って、カラスの発した感想も理解できなくはないし、二人を軽蔑するという感情が湧かないのは事実であるので、彼らと同類であると考えるのも誤りないだろう。
 ほぼほぼ無為な思慮に意識を割くのを終え、キナリは書類に視線を戻す。

 無駄話はここまでだと言わんばかりに右手をハンドルから放し、カラスがくしゃりと掴んでいた書類を大まかに指差す。

「ばあさんの名前はケエ。身長はキナリちゃんより頭一個分くらい小さい、かなり小柄なお年寄りだね。キャレー廃街とは、ロットラントを挟んで反対に位置するベルタランテって集落から逃げてきたらしい。どういう経緯でそうなったのかは本人に聞いてみるとして……とにかく、その顔写真だけでもしっかり覚えてちょうだい」

 書類に載っている画像は質の悪く白黒のため細かい顔立ちまでは把握できないが、大体の輪郭やパーツの位置は見て取れる。
 特に髪は特徴的で、黒っぽい髪に白髪が多数に混じっており、それらを後頭部で丸めるようにして結っている。
 常に髪をまとめているとは限らないだろうが、長さはそれなりにあるはず。
 カラスは別としても、時折髪を結うことのあるキナリは悪調で冴えない中でも、そこまでは考え至ることができた。

「コピーは一枚取ってきてある。今渡した分はキナリちゃんに持ってもらって、不安なら何度か見直してもらっていい」
「だってよ。ほい」

 ムロビシの説明を受けたカラスが、握り締めていた書類をキナリへと渡す。
 手荒に扱ったために見るも無惨に傷んでいる。

「……ぐしゃぐしゃ」
「写真さえ見れりゃいいだろ」

 キナリの不服そうな表情をルームミラー越しに見つつ、ムロビシは軽くブレーキを掛け、車を減速させていく。
 カラスが何事かと前方を確認すると、すでにロットラントの玄関口が目と鼻の先まで迫っていた。

「ほら、検問だ。ここだけでも静かにしてもらえるかな?」

 四人を乗せた車の姿を捉えるやいなや、簡素な検問所に常駐しているらしい男が二人、足取り重く外へと出てきた。
 厚着のそれぞれは深々と帽子を被り込んで、掌大の端末機を握っている。
 ムロビシの運転で車が完全に停まると、その左右を取り囲むようにして歩み寄ってきて、一人は運転席のムロビシを、もう一人は後部座席のカラスとキナリを覗き込む。

 ムロビシに言われた通り大人しくしながらも、車の外の男を警戒する二人。
 仏頂面で目つきの悪い中年の男だ。
 年齢はムロビシより少しばかり上だろうか。
 じろじろと嘗め回すように車内を眺める間、敵意とも言えるような懐疑を隠さずにいる。
 それが癪に障ったのか、男を睨んで返すカラスを横目に見て、すぐにいきり立たなくなっただけ褒めるべき成長点であることを、キナリはひっそりと思った。

 一方、ムロビシの横についていた方の男は、手に収まる機器を操作して息をついた。

「またあんたか。最近よく来るな」
「ワケあって家族が増えたもんでね。いつも通り、日用品の買い出しですよ。問題あるかな?」
「家族?」

 顔見知り程度の会話が交わされている中、後ろの二人の様子を見ていた男が戻って来て言う。

「……この時世にガキを二人も引き取るかね。どっから拾ってきた?」
「やだなぁ。そんなんじゃないですって」
「新人類だか何だか知らないが、あんたら推進派はいつまで粘る気でいるんだい」
「僕も雇われの身なもんで、承知していないことはお答えできない。悪いね」

 皮肉ったらしく応対したムロビシへ、機器から吐き出された一枚紙を渡す男の顔には、明らかな嫌悪感が滲んでいる。

「先日の星霜匣施設の強襲事件も収束しちゃいない。騒ぎを起こしたら、子供相手だろうが容赦ないからな」
「はいはい。寒い中、ご苦労さんです」
「……早く行け」

 男は小さく舌を打ち、警告を聞き流すムロベシにそう吐き捨てた。

 窓を閉め、勢い良くアクセルを踏み込むと、ムロビシも不満そうに鼻を鳴らす。

「まったく、偉そうにしてくれる」

 男二人の姿が車の遥か後ろに遠退いていくのを見る限り、どうやら検問というのはこれで終わりのようだ。
 息苦しさを放散するため大きく息をついてから、カラスはムロビシへ問いかける。

「いろいろ分かんねーこと言ってたんだけど、あいつら何者だよ」
「自警団っていう民間組織だ。ロットラントの治安を守るとかいう名目だけど、俺ら推進派を邪魔しようと躍起になってる保守派の兵隊蟻でもある。このペラ紙をもらわないと街にすら入れない」

 男から渡された紙を振って示す。

「車のナンバーとか入門時刻とかを控えたっつー証明書だな。中で悪さ働いたやつをとっつかまえやすくするシステムの一環さ」
「ふーん……。その、推進派とか保守派とかって何」
「あれ? 話してなかったっけ?」
「名前は聞かされた気がするような、しないような」

 整備された道路を進むと、次第に通行人の姿が見え始め、街の景観を醸し出してくる。
 ほとんど初めて見る他人=B
 キナリはカラスとムロビシの会話に耳を傾けつつも、目の色を変えて、窓の外を眺めずにはいられない。
 男も女もいれば、その他人たちが各々の思考を持って歩き、街角で買い物に勤しんだり、疲れ込んだのかしゃがみ込んだりしているのだ。
 それが何十、何百を超す大きな規模で。
 事の大きさを考えるほどに、キナリの頭は沸騰しそうになっていた。

「ものすごーく簡単に言うと、雨毒をどうにかするのに新人類を登用すべきだって主張しているのが俺たち推進派で、そうじゃないのが保守派だな。雨毒が止まないって状況なだけに、ネヴェリオは新人類の開発計画を国策として掲げているんだが、他国は当然、倫理問題がどうのこうのと騒ぎ立てて、保守派もそこに乗じてるって構図かね」
「リンリって?」
「人が人を造ることは果たしていいことなのか、それともどんな状況であれ絶対的に悪いことなのか……それを判断するための至極曖昧な概念さ。何百年も暗黙の了解として禁じられてきた生命構築の研究が、人類滅亡を予感させる今のタイミングで封を開けられたという意味じゃ、君らは良くも悪くも注目の的だからね」
「あっそ……」
「カラスくん、理解しようともしてないのを顔に出すの、もうちょいどうにかなんないかね。……何も知らない張本人である君たちよりも、外野は遥かに新人類開発計画に否定的だ。実は、そこの温度差を知るためにロットラントへ連れてきたところも大きい」

 道成に真っ直ぐ進み続けると、大きく開けた場所へと出る。
 大量の車が整列して置かれているのを見る限り、これが先にムロビシが話していた駐車場で間違いなさそうだ。
 するといよいよ人の数は爆発的に増え、どこを見回しても動的な存在が周囲を徘徊している世界が視界いっぱいに広がる。
 この光景に焦がれていたはずなのに、いざ目の前にしてみると、キナリは形容し難い恐怖感に襲われ始めた。
 外見以外の一切の素性が知れない者たちの海に潜り込まなければならない。
 そんな未知なる不安を感じると同時に、あれほど恐ろしくて仕方なかったアカアリとの同班行動も、見知った彼女がいるのならば、街中を歩くのも多少気が紛れるかも知れないと考えている自分に気づく。
 果たしてアカアリが頼るべき対象となり得るのかは分からないが、有事の際、一人で対応するよりは心強そうだ。
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