2章 砕花(5)
 分担行動執行の時が目前に迫ってくる中、キナリはようやく思考の整理、説明の咀嚼をし終える。

「……保守派って人たちは、何で邪魔してくるの?」
「さっき話した通りだけど――新人類のことが怖いのかもね」

 なんてこともないように答えたムロビシは、ギアをバックへと入れると、慣れた手つきで車を停め、いくつかの操作を経てからエンジンを切った。
 助手席に散らかった荷物の整頓を始める。

「見てくれは自分たちと何一つ違わない新人類の、一体どこが自分たちよりも優れていて劣っているのか。それが分からないことも怖いし、分かったとしても、そこの差異を認めるのが怖い。自分らが及ばないような点は、特に――検問の連中の様子からも感じるところはあったでしょ?」
「……少し。街に着けば分かるって言ってたの、このこと?」
「そっ。そして残念なことながら、俺が推進派の人間であることはすでに自警団にバレてる。そんな男が、突然見も知りもし得ない子供を二人も連れて来たとなると、まず君らを新人類と疑うほかないだろう」

 なるほど、検問の二人がその通り踏んでいるのだとしたら、あの敵意も合点がつく。
 同時に、そういった世情への理解が進めば進むほどに、自分たちがロットラントの地に踏み入ることは、想像していたよりも遥かに大事であるという因果を自覚し始める。
 外出と聞いて浮かれ心地でついてきたことを、少なくともキナリだけは酷く後悔していた。

「門番が言ってた、星霜匣施設の襲撃事件って話は聞いてたよね?」
「あー、それ。オレも気になったやつ。誰が何したんだよ」

 カラスですら気になることだったのか。
 キナリは一切顔に出すこともなく、そっと驚く。

「ネヴェリオがロットラントで暮らす廻人のために、有料で星霜匣を利用できる施設を建てたんだけど、自分たちだけ搾取されていることに納得のいかなかった新人類たちが、武力行使で施設を占拠しようとした事件があったんだ。結局、それに参加した新人類は全員自警団に拘束されたらしい。ごく最近のことだから、ロットラントの住民もかなり神経を尖らせてる」
「だ……だとしたら、アカアリを連れて行くのは、やっぱり危ないんじゃ」
「まぁね」

 パンパンに膨れた小さな肩掛け鞄を片手に運転席のドアを開けて外へ出るムロビシを真似て、先にカラスが降り、寸分遅れてキナリも同様に車内と別れる。
 車酔いのつらさを思い返し、帰りもまた、あの嫌悪感に浸らねばならないのかと思うと憂鬱で仕方がない。
 一向に気分の晴れない状況が続くのを悲しみながらスライドドアを閉める。
 二人がそうして体を伸ばしたりし始めた頃、ムロビシは車の後方へと回っていた。

「ただね、保守派の連中は少し調子に乗っているところもある。人工生命への反感が強い今なら、推進派を黙らせることもできるんじゃないかってな」

 言って、トランクを開けると、アカアリがひょいと跳び降りる。
 車内に詰め込むまでは心配りしたものだが、出てくるときは随分と簡単なものだ。

「そこでこの子の出番よ。みんなの嫌われ者である推進派のおいちゃんが、巷で噂の殺人鬼を連れて歩いているとなれば?」
「アカアリも推進派かもって思う?」
「それ! ぶっちゃけ、街を闊歩するだけでも十分な抑止効果はあるだろうけど」

 不敵に笑むムロビシが市街を一瞥する。
 つまらなそうに頭の後ろで腕を組んで呆けていたカラスも後を追うと、幾数人かの通行人がこちらを訝しげに眺めていることに気づく。

「やっぱり一暴れしてもらった方が、印象付けとしては光るものがあるよねぇ」
「暴れんのはいいけど、そのあとちゃんと止めに入れんだろうな? 言うこと聞かせてるうちに雨降っちゃいました〜なんて、マジで勘弁だかんな」
「それはアカアリの気分次第だから何とも言えないなぁ」

 落ち着かない様子で左顧右眄(さこうべん)するアカアリから三歩ほど距離を置き、ムロビシの無責任な物言いに、カラスが息をつく。

「……時間ねーんだろ? 早く予定通り動こうぜ」
「だね。検問と、この立ち話の時間で俺たちが街にいることはある程度お知らせ済みだ。あとはうちの広告塔ちゃんがどれだけ騒ぎを大きくしてくれるか、だな。そのおまけでケエばあさんも出てきてくれることを祈ろうか」

 いつの間にかケエ捜索という本来の目的がおまけになっている。
 それだけムロビシの中でも今回の指令は無理難題ということなのだろう。
 実際に来てみてキナリも実感したが、この巨大な街からたった一人を捜し出すというのは確かに無謀に感じられる。

 街の中央通りは屋根で覆われており、所々設けられた大天窓から空模様を伺うことができる。
 その安心感が大きく影響しているのだろう。
 四人のいる駐車場は街の心臓部ともいえる場所で、最も人通りの激しい地区になる。
 これから降ると言われている雨に備えるためだろうか、行き交う人々も足早だ。
 ここから見渡せる範囲でも相当な人の密度だというのに、ロットラントはその何十倍もの面積を誇る。
 ケエが外にいるならまだしも、屋内に潜んでいるのだとしたら……まず見つけ出すのは不可能だろう。
 ムロビシの諦めをいくらか察する。

「さっき言った通り、ここで二手に分かれるよ。俺たちは西側、キナリちゃんたちには東側を頼もう。それぞれ昼の鐘が鳴ったら、この車の前に集合すること。ただし、昼前に雨が来そうなら早めに切り上げるんだよ。しつこいようだが、廻人であったとしても雨毒には勝てない。これは一番重要なことだから忘れないようにね。雨の気配に関してはアカアリの鼻が利く。様子に変化があったら空模様を気にした方がいい」
「うん」
「よし! じゃあ、解散! くれぐれも気をつけて」
「がんばって生き延びろよー」

 全くの他人事のようににやつきながら手を振り、ムロビシと共に去っていくカラスへ、キナリも胸の前で小さく振り返す。
 しかし、二人の姿が見えなくなると、途端に不安に蝕まれる。

 アカアリへの恐怖も完全に払拭できているわけではないが、それよりもやはり、周囲の視線の方が気になる。
 ムロビシの顔がどれほどの人間に知られているのかも未知数なだけに、少しでも気になる動きを取る通行人すべてに注視してしまう。
 どこから何が飛んでくるか分からず肝が冷えて仕方ないものの、とにかく時間もない。
 いち早くここから歩を進めるべきだろう。

 キナリよりも遙かに多く目配せを続けていたアカアリを見上げると、彼女もそれに反応して目が合う。
 普段より多少過敏な反応を見せているが、興奮状態というわけでもないようだ。
 まだ危機感を覚えるような具合ではない。

「カラスとムロビシ、行っちゃった」
「……」

 言葉が通じないのは分かり切っているのだが、声に出さなければ不安を発散できない相だ。

「……アカアリは、こういうところ怖くない?」
「……う」
「うん……どっちの返事か分からないね、やっぱり……」
「うぅ。うー」

 何も通じてはいない、キナリの声に対する反射的な返事。
 それは分かっているのだが、問いかけに反応があるだけでも、今は俄然嬉しくなるものだ。

「あ、あのね。ケエ捜しの前に、わたしも買いたい物があって。すぐ終わると思うから、いいかな?」
「……」

 アカアリが首を傾げて黙り込んでしまう。
 彼女とのやりとりは、大抵こうして唐突に終わりを告げる。

「えっと……いいってことで、いいかな……」

 ここしばらく人間らしい生活を送ってきたが、そのうちほとんどはムロビシとカラスに主導権があった。
 別にその境遇を恨んだこともなかったし、あえて言うならば、自分で発言する必要もなく物事が進んでいくのは気楽でいいものだとすら思っていた。
 そう思っていただけに、今のこの状況は非常にやりにくい。
 アカアリが嫌がるような行動だけは取らないことを第一に、様子を見ながら歩き始めてみると、キナリの後を疑いもなくついて来た。
 ただ移動しただけなのだが、二人にとっては大きな一歩である。

 安堵に胸を撫で下ろすのも束の間、人混みの中を進むにつれ、アカアリを捉えた人々の動揺が目につくようになる。
 おそらく噂通りの風貌を目にして驚いているのだろうが、近くの知り合いらしき人間へ潜め声で話す以外アクションを起こす者はいない。
 痛い目に遭いたくはないのだろう。
 何せ流言では、この女、返り血に染まり彷徨う亡霊なのである。
 ともすれば、その濡れ血に成り代わるのは彼女の手にかかった者によるもの。
 そうなりたくない思いは、キナリも痛いほどに分かる。
 触らぬ神に祟りなし。
 これほどの適語もない。

 あまり御利益のなさそうな神を引き連れて、キナリは路地に佇む小さな露店を見つけた。
 食料品や調理器具など分かりやすいものは置いておらず、細々とした生活雑貨が所狭しと陳列されている。
 どれも華美とは程遠く、誰が用いようとも目立つことのない外見のものばかりだ。
 鏡や櫛を筆頭に、何に使うものなのかも分からぬものも多い。
 あの中に目的の物品があるかも知れない。
 遠目に通してそう思うのだが、勝手が分からず、露天商との距離を詰めていく。
 商品に埋もれるように座っていた女店主のほぼ目の前まで寄ったはいいが、なんと話しかければいいものか。
 うそうそとしていると、店主の方が痺れを切らして声を発した。

「子供なんて珍しい。何が欲しいの。ちゃんとお金持ってる?」
「ひっ――」

 声が大きくてびっくりして小さく悲鳴を上げてしまう。
 別段攻撃的なわけではないのだが、こんなに近くにいる相手に出す声量ではない。
 商売人の性なのだろうか。
 慌てて財布を両手持ち、顔の前に構えて見せると、キナリが冷やかしでないことを確認して納得したのか、女店主は小さく頷いて微笑んだ。

「お姉さんと買い物かしら」
「おねえさん?」
「後ろの美人さんは他人様?」

 誰のことだろうか。
 店主の視線の先を一顧すると、アカアリがきょとんと棒立ちしていた。

「アカアリは――ちがう。……ます」

 そういう関係性ではないことを示し、敬語を意識して訂正する。
 おかしくなった結句にふっと噴いてから、店主はキナリを歓迎した。

「あらあら、それは失礼しました。目新しい物は少ないかも知れないけど、ゆっくり見てらっしゃい」

 とても明るくて可愛らしい女性であると思った。
 街にいる人間は皆揃いも揃って検問の男たちのようなのではないかと猜疑心に絡まれていただけに、笑顔を向けられているだけでも気持ちが華やぐ。
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