2章 砕花(6) | ||
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店主の機嫌は上々のよう。 まず一つ不安を解消したキナリが、ようやく商品を覗き込むにまで至る。 よくよく見てみると、それぞれの品は派手とはいかずとも、少々の飾りは為されているようだ。 元よりムロビシが買ってきた物しか使ったことのないキナリにとって、その最低限の装飾からでさえ鮮烈な印象を受けるのである。 レース生地をあしらった髪留め。 幾何学模様に織られたコースター。 金属を造形した首飾り。 煌びやかに映る商品はどれも目新しい。 右から左へと一瞥しているうち、好奇心に丸まったキナリの目に留まったのは、赤い四本組のヘアピン。 そっとつまみ上げ、ひっくり返したり、撫でてみたり……発色よく塗装されたそれを観察し終え、購入しようと決断して居直る。 さて、そうすると再び困るのは、ここからの声掛けである。 先程は店主が先陣を切ってくれたおかげで選別作業に入れたのだが、今度こそは自分から小さな決意を表明しなければならない。 これが欲しい、だろうか。 いや、所持金も多くないことだし、それよりも先に値段を聞くべきかも知れない。 財布の中に収まっている硬貨の数は何度も確かめて完璧に覚えているはずなのに、いざとなる急に不安になってしまう。 商品を手にして完全に静止した少女をおかしそうに見守っていた女店主が、やはり催促の言葉を掛けてくれた。 「それでいいのかな」 「いっ……」 ほとんど反射的に呻くような声が漏れる。 恥ずかしく思いながらも、助力してくれた店主に意志を伝えなければ。 「いい。です」 「うん。二〇ピルクだね。持ってる?」 二〇といえば、一〇がふたつ。 ピルクはお金の単位のことだとムロビシに教わった。 一と〇が刻まれている硬貨を、口の小さい財布の中から必死の形相でまさぐり指に挟んで店主へ見せる。 「どれどれ」と愛らしい笑顔のまま硬貨を眺めると、一度だけゆっくりと頷いた。 「それは一〇〇ピルクだ」 「……足りない?」 「足りるよ。同じ物が五つ買える」 「五個……!」 これは思いもよらぬ大金だ! 正直なところ、所持金にはそれほど期待していなかったのだが、予想していたよりもかなり多く入っているらしい。 大事に握りしめている一〇〇ピルク硬貨は、もう一枚財布の中に収まっている。 ヘアピン以外にもいろいろと買えるかも知れない。 キナリはパッと目を輝かせると、もう一つ気になっていた黒い髪紐と、同じ形の白い色違いのもの、そしてその隣に置いてあった綺麗な青い装飾品を指さす。 「この三個も欲しい」 「はいはい」 喉に詰まったまま出てくる気配のなかった言葉が、高揚感に任せて自然に外へと飛んだ。 見るからに元気づいた少女の言う通り、店主はその全てを小皿のような木の器に取り置いて並べ、キナリの目の前に差し出して見せる。 「この青いブローチは少し高いよ? 全部合わせて二五〇ピルクだけど、いくら持ってるの?」 「一〇〇がもう一個と……えっと……」 残りの硬貨を一枚ずつ引っ張り出そうとするのだが、取り口の小ささに四苦八苦する。 やがて面倒になって財布を逆さにして掌に全て広げると、店主は困ったように眉尻を下げて苦笑した。 「足りないね」 「足りない……!?」 「三ピルクだけ」 「三だけ……」 金が足りないということは、いずれかの商品を諦める他ないというだろう。 世知辛い宣告に動揺したキナリは、店主の言葉を鸚鵡返しするだけになってしまった。 全財産を華奢な手に握り締め、俯き加減に選んだ商品に目配せを続けていると、女店主が商品台の脇に置いてあった紙袋をめくり、片手を中に入れ、自立するよう広げながら言う。 「そんな悲壮なお顔には耐えられないね。いいよ、足りない三ピルク分は値引いてあげる」 「……?」 「オマケしてあげるってこと。持ちやすいように袋に入れようね」 「うん……!」 興奮気味に頷いたのを直後恥ずかしくなって落ち着き、頭を下げる。 「――ありがとう」 「いいのいいの。装飾品にお金を掛ける人なんてめっきり減っちゃったし、こっちにとってもありがたいお客様なんだから」 ブローチだけは新聞紙で丁寧に包んでくれている。 見慣れない所作だが、店主の手際と心遣いに感心する。 キナリの好奇の矛先も、彼女にとっては日常の何気ない動作に過ぎない。 作業の途中、余裕の面持ちで談話を持ちかけてくる。 「全部自分で使うの?」 「ううん。自分のは黒い方のリボンだけ。赤いピンはカラスで、青いのはアカアリにあげる。リボンもう一個はムロビシ」 「後ろのお姉さんがアカアリさんでしょ? カラスってのと、ムロビシってのは? お友達?」 「ムロビシは、おじさん。髪の毛ボサボサで、いっつも結んでる。カラスは同じくらいの歳。口に入りそうなくらい前髪長いのに、結んだりするのもめんどくさいって。でも、やっぱり邪魔そうだから何かないかなぁって。ピンで留めるだけなら、多分そんなにめんどくさくない」 「そう。みんな喜ぶといいわね」 「うん」 笑みを絶やすことなく、キナリのたどたどしい話を最後まで聞くと、そう言葉を添えて商品の入った紙袋を手渡した。 それと交換するようにして、キナリの細っこい掌から硬貨が離れ、店主の勘定を経る。 商品の重さもサイズも大したものではないが、キナリにとっては十分に収穫のある重みに違いない。 財布をポケットにしまい込み、受け取った袋を大事そうに両手に抱える。 アカアリは紙袋の擦れる音に興味津々だ。 店の前で嬉しそうにするキナリへ、店主は椅子に腰掛け、なんてことのない調子で疑問を口にしてきた。 「ところで、お嬢ちゃんたちはさ、新人類よね?」 急なことに、ぎくりとする。 キナリにとって、その言葉は束の間の幸福感を一瞬で破壊するに余る衝撃であった。 目をぱちくりさせ、一切の動きを止める。 ちょうど、初めてアカアリと遭遇したときのような焦燥。 予想外の展開に巻き込まれると体が強ばってしまうのは悪い癖だと危惧しながらも、カラスのように思考を体現させるのは難しい。 頭の中ではこんなことが巡っているのに、目線を逸らすことすらできないほどに。 優しい人だと喜んでいたが、彼女が新人類を認識していることまで考え及ばなかった。 そればかりか、彼女が保守派の人間である可能性も当然ある。 どっと押し寄せてくる疑念の波に苛まれるも、慌てた様子の店主が次に放った「違うの!」の一声で金縛りが解かれる。 「ただ興味本位で訊いただけだから! デリケートな部分に触れたようならごめんなさい。こんな可愛いお客を自警に突き出したりなんてことはしないわ」 「…………」 「その感じだと、信じてもらえないだろうけど……」 すでに顔には違いありませんと言わんばかりの反応が浮かんでしまっていたではないか。 店主の口振りからしても答えは察しているようだ。 「家族のために買ったって言うならまだしも、少し不思議な言い方をするものだから。そっちのお姉さんも、プレゼントをもらうっていうのに何も言いやしないし、もしかしたら――と思ったのよ。見た目も巷で人気の幽霊そのままだし」 アカアリの噂は知らないものだと思っていたのだが、違ったようだ。 確かに店主の方から危害を加えてくる様子もないのを観察しながら、この際、もう少しだけ雑談を続けようと試みることにした。 「……わたしたち、目立ってる?」 警戒しながらの問いに、店主は大きく頷く。 「ええ、大いに。それにあなたのその服、新人類への配給服でしょ? 新聞でよく見るもの」 「……拾った。机に置いてたから」 「ふぅん……そういう渡され方なのかな?」 言葉少ななキナリの証言だけでは状況が飲み込めないが、店主は相づちを打ち、世話を焼く。 「庶民の私に詳しいことは分からないけど、その身なりでこの街に来るのはあんまりオススメしないわよ。まるで自分が新人類だって宣伝してるみたい」 「そう、なんだ」 そういったような話はムロビシから聞いていない。 そのほかに教わるべきことが山のようにあったのを考えれば致し方ないのだろうが、ますますロットラント観光などと悠長なことを言ってはいられない。 「古着屋もあるにはあるけど、みんな安く済ませようと同じことを考えるから、いっつも品薄なのよね……。あぁ、でも、子供服は需要がないから少し多めに置いてあるわよ。お嬢ちゃん、細いから入る物もあるかもね? あとで保護者さんに連れて行ってもらったらどうかしら」 「そっか……。たくさんありがとう――でした」 「どういたしまして。気をつけてね」 「うん。ばいばい」 愛嬌の満ちた笑顔で手を振る女主人へ、くすぐったく思いつつも、同じようにして別れを告げることにした。 左腕には自分で買い物を成し遂げた戦利品が、紙袋に包まれてすっぽりと収まっている。 手で握っては、せっかく包装してもらったのを崩してしまいそうで怖かった。 歩調に合わせてガサガサと擦れる音を聞きながら、今まで感じ得なかった充足感に体が軽くなった気分だ。 ああ、なんと幸せな時間だったのだろうか。 肝の冷える瞬間もあったものの、想像もし得なかったような親切な人と会話ができた。 完全に浮かれながら大通りへ戻ろうとしたところ、ふと聞きそびれたことを思い出して立ち止まる。 (さっきのお店の人に、ケエのこと聞いてみなきゃ) 本来の目的は買い物ではなく人捜しであった。 何かヒントになることを知っている可能性もある。 自分たちの身なりの件に関しても不安が拭えないことだし、考えなしに歩き回るよりは効率的だろう。 慌てて踵を返した時点で、殺風景な暗い路地がどこまでも続くかのように見渡せることに対して、大きな違和感を覚えた。 ――すぐ後ろにいたはずのアカアリの姿が消えているではないか。 「あ……アカアリ……?」 つい先程までちゃんと側にいたはず。 きょろきょろと周囲を見回すが、あの特徴的な女は影も形も見えなくなってしまった。 暴れることばかり心配していたが、まさか迷子になるとは……。 先ほど店主から教わったように、今のキナリは自分が新人類であることを開けっぴろげに宣伝しているような風貌であるらしい。 そんな状態で、この人口密度の中で独り行動しなくてはならないのか? 急激に緊張を思い出して息をするのも億劫になる。 ――怖い。 行き交う人々が、奇怪そうにじろじろとこちらを見ているような気がする。 門番の言葉を思い出す。 女子供であろうと容赦はしないと話していた。 ムロビシの言葉を思い出す。 この街には星霜匣はなく、大怪我をしようものなら死に直結すると。 ひとまずどうするべきか考えねばならない。 誰に教わったわけでもないが、掌で口元を隠すように覆い、壁際に寄り、落ち着きを取り戻すため齷齪と思考する。 そうして脈動ばかりが耳鳴りに変わるのを自覚しながら立ちすくむキナリの耳へ、突如、強烈な叫び声が届いてきた。 その次に轟いたのは、助けを求める声。 それも一人や二人ではない。 同時多発的に、四方八方から聞こえてくる。 それらがどこから上がったものなのかは、建物に反響してしまって分からないが、尋常ではない戦慄に駆られた大声で放たれた言葉はしっかりと聞き取れた。 「亡霊だ! 血赤の女が街に紛れてやがった!」 「刃物じゃ無理だ、銃はないのか!?」 「自警を呼べ! もう二人捕まっちまってる!」 ……間違いない、アカアリの仕業だろう。 ムロビシの話は杞憂でも何でもなく、本当に起こり得る範囲のものだったようだ。 噂話の女が現れたと叫んでいた。 自警団を呼べと。 さらに遠くの方から、言語を成さぬ慟哭もドーム型の屋根を劈く勢いで鳴り響いている。 アカアリが何を仕出かしているのか……想像がつくだけに身震いが止まらない。 「――もし、お嬢さん」 めまぐるしく滑落していく周囲の状況に怯えていると、背後から誰かに腕を握られた。 どういうわけだか、無数の針で刺されるような痛みを肌に感じる。 咄嗟に振り返ると、視界の最も下の辺りに何かが映り込んでいた。 視線を落としたそこには、小さな小さな人影があった。 その容姿は、書面で見た老婆そのものだった。 | ||
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